平成の思い出 / パンス

 平成も終わりにさしかかっているなか、この時代を振り返る記事がたくさん出ています。元号でくくるなんて意味ないだろうという指摘も分かるのですが、近過去をひとつかみにして振り返るために、この30年というのは丁度いいスパンだとも思います。僕も何か書いてみたいな……と、アレコレ思いを馳せてみました。ただし僕の場合、平成前期ーー90年代にあたる期間は子どもでした(昭和59年生まれです)。なので、その頃の記憶を社会的な事象とムリヤリ繋げてみます。

 当時の子どもたちはテレビゲームに夢中でした。しかし僕は親に買ってもらえなかったので、ゲーム以外の楽しみを見つける日々を送っていました。そんなわけで、周りのみんなは家でゲームをやっていたはずですが、僕は誘われないので何が起こっていたのかよく分からなかったです。ときおり外で一緒に遊んでいても主にゲームセンターに行くので、そこでも僕は参戦できず、店内でボーッとしていました。しかし、とくにイヤな気持ちでもなかったし、買ってくれなかった親を恨んでいるわけでもありません。ただ、みんなが盛り上がっているなかひとりポツンといるような状況にあまりにも慣れてしまったからか、いまでも同じような気分になることがあります(クラブなどで)。そこには、妙な心地好さがあるのです。

 では何をしていたかというと、本やマンガは無条件で買ってくれたので、それを読む日々でした。当時読んだ夏目漱石「坊っちゃん」とかいまでも面白いですね。ストーリーの端々に、明治後期の社会状況が反映されていることがいまでは分かってきて、誰かに話したいと思ったりしますが、「坊っちゃん」について熱く語るシチュエーションがないので、これはのちのち文章にまとめたほうがよさそうです。とにかく人より難しそうなものに触れているのがイイという価値観を持っていたので、小学校高学年のころには、学校の図書館に「日本文学全集」が置いてあったので全部読破してやる! などと考えて実践してみたんですが、国木田独歩とかどんな話だったのか全く覚えていない。メチャクチャ無為な時間だったかもしれません。
 当時読んだものでもっとも印象に残ったのは、たしか朝日新聞社から出ていた子ども向けの年鑑で、チェルノブイリ原発事故について取り上げた記事でした。おそらく広瀬隆を下敷きにした、もしくは本人が書いていたかで、東海村の原発で事故が起こった際のシミュレーションに恐怖しました。読んでたちまち原発に対して危機意識を持ち、もっと知りたいと親にせがんで、東海村の原発を見学に行ったこともあります。どんな説明を受けたかはっきり覚えていないのですが、帰りの車のなかで「これなら安全だね」「あの本はオーバーに書いてただけだな」などと話した記憶があるので、いまの言葉で言えば、すっかり「安全厨」になってしまったのでした。しかし、その後1999年にJCOで臨界事故が起こり、「あれっ!?」となるのですが。

 ここまでの文章で分かる通り、完全にイケ好かない子どもでした。意識高い系。あと、妙に潔癖なところがあり、確か小学2年生くらいだったか、アニメ「クレヨンしんちゃん」の下品さはけしからんという内容の文章を学級新聞で発表したことがあります。「まじかる タルるートくん」にもあまり良い印象を持っていませんでした(読んでたけど)。性的なものに対する忌避感があったのだと考えられます。下品だけどよりチャイルディッシュな「おぼっちゃまくん」は好きだったので。ちなみに、いまポリティカル・コレクトネスの重要性が唱えられていますが、90年代前半にも似た動きがあったことはあまり顧みられませんね。マンガの表現規制などが問題化、筒井康隆の断筆騒動などもありました。しかし僕がその動きに影響を受けてたわけではありません。知らなかったので。
 七三一部隊についての展示に連れていかれたこともあります。そこで日本の戦争犯罪に対していたく衝撃を受けました。いま『戦後日本スタディーズ3 80・90年代』に収録されている年表(作成=道場親信)を見ると、1993年7月から全国巡回展を行っていたことが分かります。うちの親はイデオロギー的にどっち寄りとかは全くないのですが、そういう層でも普通に展示を観にいくような時代だったのです。そう考えると、本当に社会は変わってしまったのだと思います。いまだったら街宣車が抗議に向かい、ネットで叩かれていることでしょう。

 93〜4年頃は、古いマンガがこぞって文庫化されていました。文庫だと見た目が小説っぽいので何かカッコいいというイメージを勝手に抱えていたので、手塚治虫などを片っ端から立ち読みして、気になったものは買っていました。『MW』など大人向けの作品が好きでした。なかでもとりわけジャケが渋かったのが、つげ義春の『ねじ式』『紅い花』(小学館文庫)で、読んだ瞬間いっぺんで夢中になり、レジに持っていったことを覚えています。隣町のイトーヨーカ堂に入っていた書店での出来事でした。

(つづく)

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