パンスの新書生活 Vol.1 四方田犬彦『ソウルの風景』(岩波新書)

 去年、大根仁監督で日本版も公開された、韓国映画『SUNNY』。80年代、軍事独裁政権下での女子高生たちを描いた、とにかく大好きな青春映画なのですが、なかでも僕にとってもっとも印象的なのが喫茶店のシーン。主人公のナミは、憧れの大学生をこっそり追って喫茶店に迷い込んでしまう。そこは音楽喫茶といった趣で80sロックがかかっていて、若者たちがタバコをくゆらせながら談笑する店。結局そこで二人はバッタリ出くわしてしまう。大学生がつけていたヘッドフォンを突然彼女に当てて、そこからリチャード・サンダーソン「愛のファンタジー」が流れてくる(改めて調べてみたら映画『ラ・ブーム』のオマージュになってるんですね。こちらはまだ観てなくて恐縮なのですが……)。そして背景には熱帯魚が泳ぐ大きな水槽。

 『漫画原論』など、四方田犬彦氏の著書は何作か読んではいたのですが、韓国に関しても多くの評論を書いているのを知ったのは、僕が韓国の文化や歴史にハマってからのことでした。早速『ソウルの風景』(岩波新書)を読んでみたら、70年代のソウルを振り返る、こんな文章がありました。

“あの頃はみんな、何かあると茶房(ルビ:タバン - 喫茶店)に閉じ籠って話し込んでばかりいたものだ。室内が薄暗くて、かならず中央に置かれていた水槽に熱帯魚が泳いでいて……。”
「伝統的なるものの行方」

 『SUNNY』のシーンそのままだったので興奮しました。そうか、水槽があるというスタイルが一般的だったのかと。僕も、いまも残っている茶房(タバン)があったらぜひ訪問したいと早速検索し、先日旅行した際は、乙支路三街(ウルチロサムガ)という街にある「乙支茶房」に行きました。水槽はなかったんですが……1985年に創業したということでまさに『SUNNY』の時代。甘いコーヒーを注文して、アジュンマに美味しいかと聞かれたので「マシッソヨ〜」と答えました。

 違う国に残された古いものを観光して楽しむ、このような振る舞いとは結局、エキゾティシズムを持ち込んでいるだけだ、という批判はたびたび起こります。乙支路周辺はいま再開発の問題も起きているのですが、それを心配する日本人に対しても同じように言ってる人を見かけました。さて、どうなのでしょう。乙支茶房は地元の年配の方の憩いの場でありつつ、instagramのハッシュタグで検索すると韓国の若者も来て自撮りをアップしたりしています。彼女たちにとっても茶房は自分たちの経験していない時代のものであり、レトロ喫茶としても人気があるようです。そこにあるのはノスタルジー。旅行の広告で「どこか懐かしい気持ちに」みたいなクリシェがありますが、たしかに僕もノスタルジー的なものを感じていたかもしれません。とくにいままで僕と茶房は関係なかったのに。では、ノスタルジーとは一体なんなんでしょう?

 四方田氏もこのようなノスタルジーに対しては若干否定的で、伝統的なるものは仁寺洞(インサドン)にパッケージングされた形でしか残っていない、いまやスターバックス、ケンタッキーが立ち並ぶ街、として、本書が刊行された当時、90年代後半のソウルを形容しています(個人的には、どんどん古いものが消えていく東京よりは遥かに残っていると思いますが……)。この批判は昨今でも表現のレベルにおいてアクチュアルです。ここ十数年間、あらゆるアートが「なつかしいもの」として再生産される状況は、音楽とかが好きなら掴みやすいかもしれません。

 たしかに、言いたいことはじつによく分かるのですが、僕はノスタルジーを捨てたくない、というかバッサリ否定できないんです。なつかしむという行為って、過去を具体的に眼差しているわけではなくて、現前してしまった時点で結局つねに最新のものなのでは? と思ってるフシが僕にはあります。そういえば「シティ・ポップってどこのシティだよ(笑)。幻覚しか見えてないんじゃねぇのかって。そんなもんねぇよ(笑)!」という文章もこの間見かけましたが、幻覚? そんなもんかねえと首を傾げてしまいました。この問題についてはまだまだ考え中なので随時書いていきますよ。

 『ソウルの風景』のほんの一部の話になってしまったので戻りますと、日本文化の流入や消費社会化で大きく変貌していた90年代末のソウル、例えば若者の街が新村(シンチョン)から弘大(ホンデ)へ移動しているといった状況から、過去の記憶ーー光州事件から戦前までーーを、氏の専門である映画やマンガをキーにして掘り起こしていく作業に圧倒される一冊です。そして、この本が書かれた当時と現在では、さらに変化中。目まぐるしく展開するソウルの街と社会を僕も追っていきたい、そのためのヒントが本書には詰まっています。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?