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韓国映画と中国・香港の現在についてのメモ / パンス

チキンとビール(麦酒 - メクチュ)は、韓国でちょいと一杯やるときにもっともポピュラーな組み合わせだ。初めて旅行したときに、友人に案内された市場で食べて、こんなに美味いのかと驚いた。どうにも甘ったるさのある日本の唐揚げと異なり、韓国のチキンは酒に合わせてばっちりとセッティングされている、といった感じ。

Netflixで配信されているヨン・サンホ監督『サイコキネシス - 念力』(2018)は、そんなチキン屋を営んでいたルミと周辺住民たちが、再開発に伴い圧力をかけてくる地上げ屋たちと対決する話だ。かつてルミを捨て、冴えないおじさんとして生活を送っていた父親が、ひょんなことから「念力」が使えるようになり、その力で襲いかかる奴らをブン投げたりする——という、コメディタッチのストーリーなのだが、この「地上げとの対決」は、韓国の人々にとって非常にリアリティのある設定でもある。ソウル市の大規模な再開発は十数年にわたり進行中で、2009年には「龍山惨事」と呼ばれる、立ち退きを強制された住民が警官隊と衝突し、死者を出した事件が起こっている。インディ・カルチャーに詳しい人ならば、いまや若者の街となっている弘大(ホンデ)の食堂に強制代執行が入るなかミュージシャンたちが抵抗した「トゥリバン闘争」を思い浮かべるだろう(『PARTY 51』というドキュメンタリー映画になっている)。

地上げ屋たちの上には建設会社がいて、その背景には大財閥の影を感じさせる。常務の女性はクレイジーな俗物として描かれるが、これは最近の「ナッツ姫」を明らかに意識しているし、彼女が裏で手を回してメディアがコントロールされる。火炎ビンを持って抵抗する住民たちは過激派扱いされ、TVのコメンテーターに念力の正体は「北朝鮮の兵器でしょう」と言わせる。かつて朴槿恵(パク・クネ)政権下でのメディアに対する抑圧を彷彿とさせる。韓国では、このような馬鹿げた状況を2016〜17年の大規模デモと政権交代によって乗り越え、いまやパロディに出来るようになった。では、まさに馬鹿げたど真ん中にいる日本はどうだろうか。

韓国映画では頻繁に、抵抗する市民たちが肯定的に描かれる。日本映画だとここ数十年あまり見かけない傾向だ、といった指摘をネット上ですると、やれ政権が政治的無関心層を生み出したとか、日本のサブカルが悪いのだとか、ついつい犯人探しがされがちなのだが、そんな行為にはあまり意味はなく、答えは簡単で、上記も含めた複合的な要因だ、ということでしかない。同じように、韓国映画の傾向にも、歴史的な要因がある。例えば本作では市民に対して放水するシーンがあって、父が念力で空を飛んで助けに行ったりする。それを「アクション・シーン」として私たちは認識してしまうけれど、韓国において機動隊が放水や催涙ガスを繰り出すというのは比較的近い記憶である。日本がバブル期にあった80年代後半、韓国、台湾、フィリピンは民主化運動の時代だった。中国でも1989年に第二次天安門事件が起こるが、弾圧されてしまった。当時は多くの日本人にとって対岸の火事のようなものとして認識されていたこれらのニュースだが、ここ10年というもの、政府によるあからさまな抑圧や、それに対抗するデモといった光景も日常のものとなり、改めて当時の東アジアを意識するような流れもあるようだ(『タクシー運転手』などの映画のヒットも記憶に新しい)。最近だと、香港の「逃亡犯条例の改正」に反対するデモへの弾圧に対して、日本からも香港経済貿易代表部前と渋谷駅前で速やかな反応(6月13日)があった。

中国の現在については「中華未来主義」が日本でも紹介されたり、もっと一般的なところではテック関連の躍進が報じられるなど、最近の加速主義的言説も併せて、ある種のユートピア的思想が託されているふしがあり、僕も興味深く追っていたのだが、香港の抵抗運動に対する弾圧を見て、このような政治的判断が前提になった繁栄であることもいま一度強く認識しなければならないな、と再認識させられた。そんなわけで第二次天安門事件について調べつつ、久々に『1980年代』(河出書房新社)に収録されている姜尚中氏のインタビューを読む。鄧小平によるプラグマティックな対策、「南巡講話」に見られる資本主義化と、第二次天安門事件に見られる民主化への弾圧、その二点から捉えられるのは「集権型の上からの『開発独裁主義』」であると。つまり、韓国や台湾で60〜80年代に行われていた開発モデルを数十年あとに導入して、現在に至っているという見方をしていて、シンプルな結論にハッとさせられるものがあった。このモデルは現在の日本にも通じるものがあるかもしれない。ただし本邦においては経済的成長の側面がかなり歪んでいるので、より悪質というか、不条理である。

『サイコキネシス - 念力』に立ち返ると、拘置所を脱出したおじさんは念力でマーベル・コミックよろしくソウルの街を飛び回り、警官隊に弾圧されている娘を助けにいくが、自分で念力をコントロールしきれないので、あちこちのビルにぶつかりながら散々な体で向かっていく。時代を一人で変える完璧なヒーローなどはいないのだ。だからこそ、近くの国の人々も含め、知識をシェアして協力したいものだなあ、と考えている。選挙も予定されてるし、課題は数多い。


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