パンスの現実日記 2020.7.25

 1990年代後半ごろ、「なぜ人を殺してはいけないのか」という命題について盛んに語られていた状況があった。TBSの「ニュース23」という番組での討論で、この質問をした高校生がいた、というのがきっかけとされている。少年犯罪がクローズアップされることが多かった時代で、彼らがなぜ凶行に走るのかという議論のなかで、この問いも投げかけられ、知識人たちを揺るがした。中学生だった僕もメディア上で指定される「少年たち」のなかに入ってしまっているというのもあり、興味深く見ていた。記憶している範囲だと、そもそも「なぜ人を〜」といった疑問を投げかけるような行為自体がバカげているとか、いやそう片付けてしまうのではなく、問いを重く受け止めなければならない、といったタイプの主張があったように思う。

 当時はあまり気づいていなかったのだが、いまにして思うと、質問自体がバカげていると考える人の心情についてもそれなりに分かるようになってきた。例えば大江健三郎がそんなことを言っていたはずなのだが、要するに彼ら「90年代に年長だった」人たちには、先の戦争の記憶が厳然としてあり、そのうえで議論を積み重ねていったのだった。それは「戦後民主主義」という理念とも重ね合わされていたし、革新思想と呼ばれたりしていたが、その流れが途切れつつあったのが90年代頃だった、というスパンで考えると、彼らの困惑も腑に落ちる。いっぽう年長者のうち、困惑のなかで勇ましいことを言う者がやたらと増えたのも同時代だった。石原慎太郎が持て囃されたり、「新しい教科書」を作りたい人たちも出てきていた。彼らは「秩序」の立て直しを図るために保守的な論調を復活させるという名目で動いていたけれど、一見強そうに振る舞いつつ、被害者意識が垣間見られるのがポイントだ。自分たちは戦後民主主義の被害者的ポジションであり、このような時代になったのも戦後民主主義のせい……なのでそれ以前の日本はよかったと言っていきましょう、という思考回路。

 「強さ」を前面に押し出しつつ、自分は弱い立場である、という両義的なあり方というのは、人々に深く膾炙するにあたって、結局「強者」と「弱者」を選別するような流れとして成立するようになった。別に強者でもないのに、なぜか強者であるような立場に自分を置いたり、弱者とされていたものがあたかも強者のような存在として反転させられたのも、ここ十数年のSNSにありがちな傾向で、現在起こっている「優生学的」に社会を判定するような言説もその延長にあると思う。あまりにも少しずつ進んで定着しているので、正直彼らのような人々をカルト視するのにも無理があるような段階にきている。例えば、私たちは彼らの意見に憤りを覚えつつ、社会的に「使えない人間」を軽蔑したりするような振る舞いをごく自然に行っていないだろうか。というレベルから思考する必要がある。

 かつて「なぜ人を殺してはいけないのか」と問われ、問答無用で拒否反応を示せるような言葉があったというのが「戦後民主主義」の延長だとすれば、私たちはそれが無効になった後を生きていて、では単に過去を復興すればいいのかといえばそんなことはないというのが僕の考えだ。違う言葉を構築する必要があり、それはSNSで事象に一太刀浴びせて済むような言葉ではなさそうである。少なくとも戦後50年頃までは成立し得たような、「私たち」の記憶に紐づいた言葉を記述することができるはずだと、日々考えている。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?