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映画ドラえもん「のび太と空の理想郷」感想


映画全体の感想


映画の感想を総括するところから参りましょう。細かい部分の感想・考察は後程。

個人的な、本当に個人的な感想なのでご容赦いただきたいのですが…
「緑の巨人伝」を初めて観た時。10年以上前のことです。当時の私はまだイキり散らかした学生だったのだけれど、あーやっぱりNOリメイクわさドラ映画は大山ドラを越えることはできないんだなって思ってしまったのです。
その思いが、何年たってもずーっと心の隅にあった。もちろん、わさドラ映画にも魅力がたくさんあって、毎年楽しませていただいています。ファンでもあります。「ひみつ道具博物館」や「南極カチコチ大冒険」、「月面探査記」なんか大好きな作品です。しかしわさドラ映画に対する評価や期待が上がってきても、どうしても大山ドラに傾倒してしまう気持ちが消えずにいた。それだけ大山ドラ映画に対する気持ちが、執着が、強かったんですよ。

だけど今年、空の理想郷を観て、それまでの大山ドラに傾倒する気持ちが覆りました。
初見の感想を一言で言うと「なんてショッキングな作品なんだ…」でした。色々な意味で、初見後は頭のなかで様々な思いが飛び交ってました。
ちなみに今年はほとんど前情報無しで鑑賞しました。フライヤーを眺めていた&ソーニャのビジュアル認識&永瀬廉さん起用程度の知識で挑みましたので、初見時のハードルが低かったこともあり衝撃が強かったように思います。
視覚的に激しい変化があるわけでは無いのに、静かに、しかし着実に異常が忍び寄ってくる世界。これを鑑賞した子ども達の目には、どう写ったのでしょうか…

2回目以降、気持ちを整理して冷静に鑑賞させていただいたら…いや、この映画すごくない?私がドラ映画に求めているものが、詰まっている!となったわけです。
魅力的なゲストキャラ、ゲストキャラとの交流・友情、序盤冒険が始まる時のワクワク感、各レギュラーキャラクターの個性を活かした役割遂行、ドラえもんとのび太の絆をしっかり描く、丁寧で明快なタイムパラドックス、格好いいアクションシーン、強いメッセージ性。
これを子どもに伝わりやすいストーリーで、約100分という短い時間に破綻なく納めている。作画もとても綺麗!わさドラ映画は監督により作画が大きく変わる印象があり、好みでない絵柄の作品もあるので…今作は大変好みの絵柄で、動きも綺麗。本当に、隅から隅まで楽しませていただきました。

そして衝撃だったのが、映画オリジナルのゲストキャラと1番強い繋がりを持つ役割を、ドラえもんが担っていたということ!個人的に、ここが今作の最大のポイントですね。
ドラえもんという作品の主人公はのび太である。多くの方がそう認識していることと思います。で、映画作品には毎回オリジナルのゲストキャラが登場するのですが、このキャラは映画におけるもう1人の主人公といえる立場の子が多い。ですので、作品の主人公(のび太)+映画のキーとなる、もう1人の主人公(ゲストキャラ)の交流を描くことが圧倒的に多かった訳です。
映画のゲストキャラは、一番初めにのび太と出会ったり、のび太と二人きりの時間を過ごすことがままあり、これによりのび太とゲストキャラとの関係性が、他キャラよりも際立ってくるパターンが多くありました。
しかし今作はなんと、この役回りをドラえもんが果たしているのです。今作のメインゲストキャラであるソーニャと一番長く時間を共にし、強い絆を結んだのがのび太ではなくドラえもんであった。長く続くドラえもん映画作品の中でも、初めての事です!これだけで、私にとってはかなり特別なドラ映画となりました。
私はとにかく“ドラえもん”というキャラクターそのものが好きな人間なので、もっともっとドラえもんにスポットを当ててほしい!という願いを叶えてくれたわけですね。幸。

ソーニャとドラえもんは、同じ未来の猫型ロボットであることをきっかけに繋がっていくのですが、お互いに猫型ロボットの理想の姿を相手に見出だしている印象です。
ソーニャ役の永瀬廉さんのラジオ番組にドラえもんがゲストで登場した回があるのですが、その番組内で、ドラえもんは「ソーニャから色んな事を学べた」「僕にとってとっても大きな出会いだった」と発言しています。その言葉通り、ソーニャはドラえもんから学び、ドラえもんはソーニャから学ぶ。お互いに、本当に大切な出会いをしたのだなと、映画を観た人が深く実感できる作品になっています。ドラえもんの映画作品を多く観たことがある人には、尚更強く印象に残るでしょう。
それに加えてあのラストですから、それはもう本当に衝撃でした。ソーニャとドラえもんは、お互いを最後まで守り抜こうとした。二人が守りたかったのは、自分の心であり、相手の心でもあったと思います。
ソーニャを助けるためにドラえもん一行が登場するシーン、ドラえもんは何も言わずに、ただソーニャに微笑みかけます。自分を攻撃し、姿まで変えられた相手に対してです。どれ程深い信頼を、理解を示しているか…目は口ほどにと言いますが、正にですね。ドラえもんの心の広さ、優しさを感じられ涙が出ます。

自分とは何か、他人とは何か、人それぞれが持っている、その人の心とは何か。
ソーニャは、ドラえもんとの出会いで、心というもの、その尊さに気付けたのですね。そして自分にもその心があることに気付き、自分の心が求めるものは何か、見つめられるようになったのです。

F先生が活躍されていた時代の映画作品にも、強いメッセージ性があるものがたくさんあります。環境保全や、戦争抑止、独裁への批判などが印象深いテーマです。
ですが、ここ数年の映画作品を観ていると、多様性や自己肯定、想像力などがテーマとなっていて、本当に時代の流れを感じます。
その時代に合わせた色々なテーマに取り組める事は長寿作品の強みでもあるので、これからも様々なテーマの作品が生まれるのだろうなぁと期待しております。




小休止。キービジュアルについて

https://doraeiga.com/2023/

はい、公式サイトのトップ画像をご覧ください。
爽やか~~~!!
ダイナミックな動きを感じる構図!飛行服姿がカッコいいキャラクター達!眩しい日差し!機体の閃き!活力漲る雲!その奥には雄大な海!晴天に煌めくパラダピア!多分少しだけ空気に水分含まれてて気温低めなんだろうな~。飛行機のエンジン音とか聞こえてきちゃうな~。とか想像力が掻き立てられる!はい100点!フライヤー貰うためだけにいそいそ映画館に行きましたとも。(このキービジュアルから、一体誰があんなにショッキングな内容の映画を想像できるだろうか…)
“僕らの「らしさ」が世界を救う”
のキャッチコピーもグッときますね!映画の内容が気になるフレーズ、かつ総括してもいる。洗練されたコピーだと感じます。

もう1枚、素晴らしいキービジュアルがあるのですが、著作権の関係でここへの貼付は控えます。
しかしどうしてもこのキービジュアルについて語りたい!文字だけになりますが、どんな雰囲気かだけでも伝わればと思います。
ドラえもんとソーニャが空をバックに向かい合うイラストです。
この絵1枚で色々想像できちゃうんです!
ソーニャの切なげな表情…!まるで暮れゆく空のように静かで憂いを帯びていて、今にも涙がこぼれおちるのではないかという…
対してドラえもんは活き活きとしていて希望に満ちた表情。口角が上がり目はキラキラ。
二人の背景にも注目です。ドラえもんの背後には活力に満ちた勢いのある雲。ソーニャの背後には途切れ途切れで頼りなく、不安定な雲。彼方に見えるパラダピアが絶対的な存在感を放っている。二人の心理を表しているこの対比、堪りませんね!
なぜこのイラストを使用したグッズを展開しなかったのか…悔やまれます。





ソーニャというキャラクターについて


空の理想郷のメインゲストキャラクターであるソーニャ。今作のもう1人の主人公と言ってよいでしょう。このキャラクターが、本当に魅力的で…映画鑑賞以降、ソーニャに心を奪われております。

CV.永瀬廉さんと知ったのと、ソーニャのビジュアルを認識したのとどっちが先だったか覚えていませんが(多分、ビジュアルの認識が先かな?)、ソーニャの第一印象は、実はあまり良くありませんでした。なんだか目付きの悪いキャラだな~、あんまり可愛くないないな~なんて思っておりました。
永瀬廉さんの起用については、ドラえもんファン側から色々な意見がありましたが、私は好意的に受け止めていました。
担当Gは違いますが、旧ジャニーズ事務所ファンでもある私。廉くんの起用、単純に嬉しかったです。これを言うと後出しでわざとらしくなってしまうけど、廉くんの声、かねてより良いな~と思っておりました。ヒルマイルド。
演技力にも定評がありましたから、その面でも心配はまったくしていませんでした。
空の理想郷鑑賞後、アマプラにて『弱虫ペダル』を観たのですが、この作品でも廉くんは声の演技がとても上手ですね。普段とは違う声のトーンで終始お芝居をしているのですが、まったく掠れたり不自然になったりしないのがすごかったです。叫ぶようなセリフでも、声のトーンが落ちずに安定していてお見事でした。

廉くんとソーニャ描いてしまいました〜



そしてソーニャ。キャラのビジュアルと廉くんの声質が本当にマッチしていて、素晴らしかった…!
作中でのソーニャの第一声を聞いた時は「おー、めちゃくちゃ永瀬廉だ!ヒ・ル・マイルド~って言いそう!」って印象だったのですが、ストーリーが進むにつれその感覚はすっかり消え、完全にソーニャの声として認識できるようになっていました。(ソーニャ、“パーフェクト”の“フェ”の発音がやや舌足らずなのが可愛くて生々しくてGOOD!)
序盤の淡白な声質から終盤に向けての感情が表に出てくる様を見事に表現さてれおり、なにより、廉くんがソーニャというキャラクターをよく理解して演じてくれているのが伝わりました。
映画の試写会で、廉くんは「ソーニャはとにかく心が暖かい。もともと持っていた暖かさが段々表に出てくるのが魅力」と仰っていました。アニメやゲームのファンの方なら共感いただけると思うのですが、キャストさんがキャラクターを愛してくれている、理解してくれているというのは、ファンにとっては嬉しいことです。その点で言っても、廉くんは100点満点だと思いました。
そうしてソーニャの優秀なビジュアルにCV.永瀬廉のバイアスがかかり、ドラオタ兼ジャニオタの私をピンポイントで殴る強キャラが爆誕したわけです。
廉くん、もっと声優のお仕事してくれたら嬉しいなぁ。「龍が如く」とか「ジャッジアイズ」シリーズなんてどうでしょうか。出てほしいなぁ。

ドラ映画には魅力的なゲストキャラが多く登場しますが、現在は圧倒的にソーニャが好きです。ちなみに満月美夜子さん、リルル、ロコロコ、チーコ、シャミー、グースケ、フレイヤ、ジンジャーあたりも好きです。みんなかわいい。

さてこのソーニャというキャラクター、ビジュアルとキャスト以外にもたくさん魅力があります。
まず、彼の話し方。「パーフェクト猫型ロボット」と自ら名乗るだけのことはあり、終始敬語。一人称は“私”。元々敬語キャラに弱いこともあり、これだけでかなり好印象です。ドラえもんズでも敬語で話す王ドラが一番好きですしね。
敬語に加え丁寧な物腰、スマートな仕事振り。まさにパーフェクト。好き。
ちなみに空の理想郷のノベライズ本にはソーニャの心中を彼の視点で描写しているシーンがありますが、一人称が“僕”になっていました。つまり対人用の一人称とそうでない時の一人称が違うわけです。細かいところではありますが、こういう描写にとても人間らしさというか、存在に現実味を感じます。良いですねぇ。

そしてソーニャの魅力は、スマートで優秀というだけにはとどまりません。
なんと彼、元は失敗ばかりのダメロボットだったそうな。この設定が、キャラクターの奥行きをぐんと深めてくれています。この設定があるお陰で、この後の彼の行動全てに説得力が出るのです。
作中で語られるソーニャの過去は僅かですが、彼の行動にその過去がいかに悲惨であったかが現れています。
今作のヒールキャラクターである三賢人(レイ博士)に「またガラクタに戻すぞ」と言われ、融和されつつあったソーニャの心は凍りつき、反射的に友であるドラえもんを攻撃してしまうのです。ガラクタ扱いされ棄てられた過去がどれ程強大なトラウマとなっているか、察するに余りあります。このシーン、作中のソーニャの表情にご注目ください。煩悶の表情が素晴らしい!曇らせ好きな方は必見ですよ!
このシーンに限らず、眉の無いシンプルなキャラデザなのに表情の描き方が巧みなんですよね。

で、この“元ダメロボット”という過去。これをドラえもんとのび太が知っている。ソーニャ自らが2人に過去を打ち明けているというのが重要なポイントです。
ソーニャが2人に過去を打ち明けた切っ掛けや、その状況がとてもよく出来ているのですよね。夕暮れの花畑、ドラえもんとのび太の仲睦まじい様子…BGMのタイトルは「花咲く笑顔」。2人の様子を観察し続けた結果、ソーニャの心に生まれた、いえ、もともと持っていて無くしかけていたものが、再び静かに動き出す様が美しく演出されています。ソーニャというロボットの持つ心が、ようやく少しだけ見える重要なシーンです。

弱みでもあるはずの過去を、なぜドラえもんとのび太に打ち明けたのでしょうか。
ソーニャは2人の絆を感じる度に、自然と彼らに惹かれていたのでしょうね。そんな2人に、自分という存在を感じてほしいと、無意識に思っていたのかもしれません。
このシーン、これまた表情の描写がお見事なんです。言葉にするのが難しいような刹那げな顔。この表情ひとつに、羨望や寂しさ、葛藤など、複雑な彼の心境が詰まっています。慟哭ともとれるようで、2回目以降の視聴では見ているこちらの心がギュッとなってしまいました。しかし辛い過去の描写が入る=死亡フラグというのが漫画やアニメでは定番なんですよね…ソーニャもご多分に洩れず。(このお決まりパターンをドラえもんという作品で目にすることになるとは…思ってもみませんでした)

ソーニャの過去から見ても、彼は恐らく、他者とは主従という関係しか築けなかったのだろうと思われます。しかし、ドラえもんやのび太と出会い、友となった。その友を攻撃するほどの強い意志が、彼には元から存在していたのです。
そして、ソーニャはパーフェクトでなくてはならないという強い想いに縛られてもいます。三賢人とパラダピアを守ることに、自分の存在意義を見出だしているように感じます。それが彼にとってのパーフェクトであるのでしょう。しかしこれも、彼には強い想いを貫く力が元から備わっていたということです。この心が、最終的には友を、世界を救うことになるのです。
ソーニャというロボットの持つたった1つの心が、友と出会い、その友を攻撃し、しかし最終的には友を救う。自らを犠牲にしてでも。(爆破後の空から、ソーニャのスカーフがボロボロになって落ちてくるシーン…とても好きです。ソーニャは助からなかったと決定付けるシーン。涙なしには見られません!)
それほどまでに、彼の心は劇的に変化する。廉くんも発言していた通り、その心の変化こそが、ソーニャというキャラクターの最大の魅力ではないかなと思います。
心とは、かくも複雑で摩可不思議なものであるか…ソーニャの言動には、深い学びとメッセージが込められていました。

これほどまでに人間に近い心を持つロボットが、未来には本当に誕生するのでしょうか…
ドラえもんやソーニャのようなロボットが当たり前に生活している時代を生きてみたいものです。
余談ですが、TVアニメ版には、ドラえもん以外にも猫型ロボットがたくさん登場しているのをご存知でしょうか。これまた魅力いっぱいなキャラが多くいるので、機会があればアニメをチェックしてみてくださいね~。カワえもん、ベソえもんがめちゃくちゃかわいいですよ~。


世界パラダピアン計画とソーニャについて

今作のヒール役であるレイ博士が企てる「世界パラダピアン計画」。
全世界の人間の心をコントロールし、全ての人間を“いい人”にするという計画です。ドラえもんに言わせると“心を奪う”計画ですね。
さてこの計画、果たしてソーニャは把握していたのでしょうか。作中では明確にされていませんが、私個人としては“知っていた”のではないかと思っております。そう感じた理由を、いくつか挙げたいと思います。
まず、ドラえもん一行がパラダピアにやってきた直後の、ソーニャの態度を見てみましょう。
パラダピアに住みたいというのび太達を学校に案内し(これは三賢人の指示ですが)、ドラえもんに自分の仕事を手伝わせることで、彼らを監視下に置けるようにしています。
また、パラダピアのバリアについてドラえもんに説明する際、なにやら含みのある目をドラえもんに向けています。ドラえもんが「僕らが帰る時」と口にした際、ソーニャは口を閉じ、敢えてその話題に触れずにいたように見えます。その後も、ドラえもんやのび太の様子を観察している様がたびたび描写されます。
そして、レイ博士が正体を現した際の、ソーニャの反応。彼はレイ博士に「計画は失敗したのです」と発言します。この時の毅然とした態度には、動揺や驚きがみられません。こうした理由から、ソーニャが以前から世界パラダピアン計画を知っていたのではないかと推測できます。自ずと三賢人=レイ博士という事実も知っていたということになるのではないかと。

では、この計画について、ソーニャはどのような考えを持っていたのでしょうか。
彼はパラダピアで暮らすようになる以前は、ガラクタとして棄てられていた。そしてそこを三賢人に救われ、その事に強い恩を感じています。過去の辛い記憶が残っていることもあり、三賢人及びレイ博士を崇拝している。その想いは彼の心を曇らせ、世界パラダピアン計画は正しい事であると無意識に信じ込んでいたのではないでしょうか。或いはそもそも計画が善か悪かなど考える事すらしていなかったのかもしれません。
しかし、完全に肯定or無関心だったかというと、それも違うように思います。ガラクタ時代に心を踏みにじられたソーニャは、その心こそが人を人たらしめる要素だと、どこかで常に感じていたのではないでしょうか。それこそ、彼がもともと持っていた“暖かさ”由来で。しかし、その想いは三賢人への忠誠心に上書きされてしまう。そうして三賢人に従事する、心ないロボットとしての生活に疑問を持たずにいたのではないでしょうか。

ところで、レイ博士がソーニャに施した改造についてですが…
ソーニャをダメロボットからパーフェクトロボットへ改造した際に、なぜ記憶を引き継がせたのでしょうか。ソーニャにとっては、棄てられた過去は辛いものなので、その記憶ごと改造(もしくは抹消)することも出来たのではないか。
レイ博士にも、落伍者扱いされた過去があります。彼はこの過去を忌まわしく思っているようですが、反面、この過去こそが自身を鼓舞する源でもあったのでしょう。そういう心の有り様を、レイ博士も本当はとても大事に思っていたのかもしれません。
人間とはとても複雑な生き物で、同じ人物が、全く正反対の考えを同時期に感じたり考えたりすることが少なからずあります。ソーニャに記憶を、心を残してくれたのは、一体レイ博士の中の何であったのか。同情か、仲間意識か…
今作で心というものに一番執着していたのは、レイ博士自身だったのではないでしょうか。


ストーリーのクライマックスについて

映画終盤では、ソーニャがレイ博士に反旗を翻します。彼がのび太一行に助力するこの展開、とても盛り上がりますね!
パラダピアンライトにより心を奪われ、三賢人の言いなりになってしまったのび太、しずか、スネ夫、ジャイアンの4人。しかしのび太だけは、完全に懐柔されているわけではなく、ドラえもんを攻撃することができませんでした。
ドラえもんは、三賢人にハッキリと宣言します。
「パーフェクトになんか、ならくていい」
「これがぼくだから」
ドラえもんの強い精神を感じる台詞ですね。パーフェクトであることにこだわってきたソーニャには、ドラえもんの姿がどんなに眩しく見えたことか…
そして、映画を観た子ども達にも、この言葉は鋭く響いたのではないでしょうか。

しかしのび太の目の前で、ソーニャはステッキから光線を放ち、ドラえもんの姿を虫へと変えてしまう。いやこのシーン、怖すぎでしょ。子どもの頃に見たらトラウマになっちゃうよ…虫に変えられただけでも恐怖なのに、その後あっけなくパラダピアの外、遥か上空から放り出されてしまう(虫になった)ドラえもん。いやいやいや、怖いって!あまりにも心無い仕打ち!恐怖でしかない!怖ッ!
ソーニャは一体、どんな気持ちでこの光景を見ていたのでしょうか…胸が張り裂けそうだったのでは…

しかしここからの展開が、怒涛の盛り上がりです。
ドラえもんを目の前で虫に変えられた事で、のび太は我を取り戻します。それに続きしずか、スネ夫、ジャイアンも、本来の彼らに戻るのです。それぞれの個性を発揮し、のび太の言うところの「僕の大好きなみんな」に、戻るのです!ここのシーンは、いいぞいいぞ~!と声に出したくなるくらい盛り上がります。三賢人に言い放つそれぞれの台詞がまた熱いんですよね。胸踊るような、心が震えるような気持ちになります。

そうしてついに、ソーニャがレイ博士に反旗を翻すのです。
レイ博士に対して、ソーニャは思いの丈をぶつけます。のび太達の持つ、心の尊さをです。そして放つこの台詞。
「そしてその心は、きっとこの私にもあります」
この台詞ーーー!もう!思い出すだけで胸が、目頭が、熱くなりますね!
「私にも」ではなく、「この私にも」と言っているところがキモです!一見(一聴?)すると自分を貶める、遜った言い方にも聞こえます。その実、今までの自分、辛い過去から、パラダピアで過ごした時間まで全てをひっくるめて、今存在している自分を認める意味が、「この私」という言葉に込められている気がしてなりません。ソーニャが自分自身の心を肯定できた瞬間です。更に、今まで三賢人に見せていた姿は本当の自分ではなかった、心を奪われた姿であった事を伝えてもいる台詞だと感じました。

映画の最終盤、ソーニャとドラえもんの別れのシーン。ソーニャが自分の過去をドラえもんに打ち明けた時と同じ、美しい夕日のシーンです。ソーニャは真っ直ぐにドラえもんに伝えます。
「ドラえもん、きみと出会えて、よかった」
この一言。ソーニャの心、その全てを語ってくれています。余計な考察はいりません。この一言が全てです。(ここの演技、最高でしたよ廉くん…!!)
そして、この台詞が作中での彼の最後の台詞となります。憎い演出ですねぇ。

ソーニャはごく自然に、何の躊躇もなく自分が犠牲になることを選択します。
覚悟を決めるというよりは、そうなることが当然のような振る舞いに見えました。
最後まで笑顔で、友を、心という尊い存在を守ることに誇りを持っている表情で。
きっとソーニャは、自分が犠牲になることで、自分自身の心も守ったのでしょうね。
それにしてもソーニャといいドラえもんといい、22世紀の猫型ロボット達は、人命を優先するようにプログラムされているのだろうか…なんて邪推は野暮ですね。



エンディングについて


空の理想郷を最大まで楽しむために絶対に欠かせないのが、エンドロールです。このエンドロールを見るのと見ないのとでは、作品に対する印象が大きく変わってくるでしょう。
ここではソーニャの“その後”を垣間見ることができます。
パラダピアを離れたソーニャは、なんと子ども達と幸せそうな一時を過ごしているではありませんか!以前身に付けていたジャケットとスカーフは見当たらず、猫型ロボット然としたシンプルな出で立ち。子ども達を見つめる暖かい眼差し…。映画を観た全人類が願ったであろう「ソーニャに幸あれ」が叶っている!
しかもエンディング曲との音ハメが見事で、グッと盛り上がるラスサビでのソーニャ登場。ここで涙腺にトドメをさされた人、多いのではないでしょうか。傑作映画というものは、エンディングさえも見処にしてしまうのですね…
空の理想郷ノベライズ版では、エンディングシーンでのソーニャの心理描写もありました。ソーニャはしっかりとパラダピアでの経験を背負って生きているのだと感じられるもので、希望に満ちていました。
実を言うと映画初見後の私は、愚かなことに「ソーニャと死別エンドの方が傑作になったのでは?」なんて考えておりました…なんて浅慮!愚考!ドラ映画には救いと希望がよく似合う。



さて。
長々と書きましたが、要は「空の理想郷最高!ソーニャすきすきすき!」ということです。
ソーニャが今作だけのキャラだということが受け入れられないです。もっと…もっとソーニャに活躍の場をくれ~!もっともっとソーニャ見たい見たい見たい!1回限りのゲストキャラだなんて勿体無いよ~~~~!が本音です。

割愛しましたが映画内音楽(1曲1曲のタイトルにも要注目!)も主題歌もいいんだよなぁ。
パラダピアの荘厳さと異常性を、上手く音楽で表現されています。
主題歌の方も、歌詞と映画の内容がリンクしていて、映画観賞後だとより楽曲への解像度が高まります。CMでParadise流れてくるとホロリとしちゃうもんな。


さてさて、なんと10000字を軽く越える大長編となってしまいましたが、もうそろそろ出し切ったかなと思います。映画の感想というより、ほぼソーニャについてのお話でしたね。マリンバやハンナ(この子もビジュが好み。かわいい)の話が全然なくてごめんなさい。山里さん、藤本さんも、映画の世界観に馴染む素晴らしい演技でした。
内容が重複していたり支離滅裂だったり文章が拙かったり何が言いたいのかわからなかったりと読みにくいですが、自分が感じたことを、久々にドラ映画に狂えた事実を、何かに記しておきたかったのです。
因みに、なるべく他の方の感想は読まないようにしていたので、大きな解釈違いや理解が足りない部分もあるかと思います。
それというのも、私は他者の感想を目に入れてしまうと、その感想に大いに左右されることがあるからです。納得できる感想を読むと、まるでそれが自分の感じたことかのように錯覚してしまいがちなのです。初見の自分の感想が、他者の感想に上書きされてしまうのです。そういった理由ですので、ご不快な映画レビューとなってしまっている可能性を回避できず…愛だけは目一杯詰めましたので、どうかご容赦ください。


東京タワー(ドラえもんコラボで映画グッズを販売していた)にも行きました。
出前館(ドラえもんコラボで抽選でアクスタが当たるキャンペーンをやっていました)にも登録しました。
ユニバ(ドラえもんコラボでパラダピアツアーというアトラクションが開催されていた)にも行きました。休日引きこもりの私が。狂ったオタクの行動力は凄いです。ソーニャも言っていましたね。「どうしても何かをしたい、したくない。そういう強い想いを持った人間の心は、消すことができないのです」。
はい。その通りです。強い想いを持ったオタク達が世の中を発展させていくのです。

↓こちらUSJへ行った際の写真です。

思ってたより絶叫系寄りだったアトラクション

私、絶叫系のアトラクションが苦手なので、少々キツかったです…
でも乗り場までの通路がよく出来ていて、本当にパラダピアにいるような錯覚に陥りました。
窓(を模したモニター)に、遠くに浮かぶ別の島々(?)が見えて「わぁぁぁ~~、私、今パラダピアの建物の中に居るんだ~!」と感激してしまいました。

コラボスイーツおいしかったです!


以上。
果たしてここまで読んでくださった方はいるのだろうか…
理路整然とは程遠い書き散らしですが、一個人の感想ですのでどうかご容赦くださいませ。
ありがとうございました。

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