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題目『おたから』

 今宵のTwilloの冒険の題目は『おたから』。
「お宝」は。。
  なんだろう。
 そんなことを。。
  思い浮かべてみていました。

もちろん、「お宝」と呼べるような。
 "大切に思っているもの" は、すぐにいくつか思い浮かぶけど。。
もっともっと "凄い「お宝」"。
  自分の生涯をかけて、ようやく手に入るか。。
 入らないか。
それくらいの。。"凄い「お宝」"。
  もちろん、"自分にとっての" ね。。

 よくお話の中で。
神様とか魔神とかがでてきて。。
  「お前の望みを言え。叶えてやろう」って言うじゃないですか。。
 でも。
その続きが必ずあって。。
 「ただし、望みは3つまでだ」とか言うわけですよ。
場合によっては「1つだけなら叶えてやる」なんてのもある。。

  つまり。。

 "凄い「お宝」" っていうのは。
そういうものなんだ。。
  自分の生涯をかけて、たった1つだけ。
 なんとしても叶えたい、手に入れたい「お宝」。。
それってなんだろうな、と。
  時間があるのにまかせて、ぼんやりと考えてみていた。。


 単純に "もの凄く高価なもの" というのは。
ちょっと安直な考えだな。。
 そういう類いのものは。
「お宝」には違いないけど。。
  "凄い「お宝」" ではない気がする。
 
 仮に、何かが上手くいって。
"もの凄く高価なもの" が手に入ったとしても。。
  人っていうのは。
 さらに高価な別の何か、に心を奪われるもの。。
  よく言われる通り。
人間の欲望には果てがないのです。。

 だから。

 そういった物欲とか所有欲とかを超越できる。
"凄い「お宝」" って。。
 なんだろう。
ほんとうにそんなものがあるのだろうか。。

ぼんやりと。
  いつまでも考えてみる。。


 ありきたりの答えならなんとなく思い浮かぶな。
でも。。
 ほんとうにそうだろうか。
  実際に手に入れたことがないから。。
「ふーん」ぐらいにしか思わないのかも知れないけど。
  正直なところ、ピンとこない。。


 大昔から偉い人たちが言ってきたように。
もしも "凄い「お宝」" が。。
「完全な心の平安」みたいなものだったら。
  どうだろう。。

 たしかにそれは物欲や所有欲は超越しているな。
そして。。
  "外側" に向かってを求めてさまよっても。
 見つかるものではない。。
"凄い「お宝」" って。
 やっぱりそういうものなのかな。。
"内側" に深く降りていかないと。
  決して見つからないもの。。


 もしかしたら。
やっぱり偉い人たちの言う通りだったのかな。。
  だとしたら。
 ほんとうは。。
生まれた時に、既に。手に入れていたのかも。。

 生まれた瞬間から。
外へ外へ、と。。意識は向いていくからね。
  それでわかんなくなっちゃった。。
 それだけのことなのかも知れないな。


 内側へと潜っていこう。
何か。。
 見つかるかも知れない。

ほんとうにそこに "凄い「お宝」" があったとしたら。
  そんなものを手に入れた人は。。
きっと。
 とんでもなく幸せそうで、とんでもなく福々しいだろうから。。
それ以外の "高価な「お宝」" なんて。
 いくらでも自然に入り込んで来てしまうのかも知れない。。


 静かに静かに。
穏やかに。。
  探しに行こう。

 どこかで、いつか。。
手に入るかも。いや。。
  思い出すのかも知れない。

それは、大昔から偉い人たちが言うようなものかも知れないし。。
 全然、違う形のものかも知れない。

いずれにしても。。
 きっと。

  とても深い。
 とても深い "じぶんじしん" のいちばん奥に。。

 "凄い『おたから』" が。忘れ去られて眠っているのを。。

   見つけ出して。

      手に入れることになるのですからな(ニヤリ)。。。




 Twilloでのワタクシのいつもの最後のセリフ。。
「ワタクシは自分では値段を決めていない。のです。。よ。。。」
適当なものを「サポート」のところに入れておいていただければ
幸いです。。。

いつものTwilloでの最後のセリフ。。 「ワタクシは自分では値段を設定していないのですよ。。。」 適当なものをここに置いていただければ。 幸いです。。。