題目『かっぽ』
今宵のTwilloの冒険の題目は『かっぽ』。
ひろい道を。。おお股で。堂々と。。ゆっくりと。歩く。。
「闊歩(かっぽ)」する。。
これを絵として思い描くだけでも。ワクワクする。。
どこへ向かうのか。
どこへ向かっていたのかは。。思い出さない。
どこへ?は。。この絵のテーマではないからだ。
テーマ、つまり題目は『かっぽ』なんだ。
ひろい道を。。堂々と。ゆっくりと。。歩く。
「闊歩」する。。
その絵の中にいる姿のままで。ずっと進んでいきたいものだ。。
この"闊"という漢字。"濶"と書くのが。。
その俗字であると変換では出てきました。
知らなかった。それくらい見覚えのない字でしたね。。
なぜこの字を知ったかというと。
ワタクシの出身高校に「三大精神」なるものがありまして。。
そのひとつが。
「大道を闊歩せよ」。。
だったわけなのです。それで知ってた。。
まさに、いつも今でも思い描いている絵を。そのまま言葉で言ったもの。。
30年以上経ちますが。意外にもその時、叩き込まれた"精神"ってのは。。
残ってくれるものなんだね。ありがたい。。
見覚えのあまりない、この"闊"という字を使う言葉に。
「自由闊達」ってのがありますね。。これも。なんて言うんでしょう。。
のびのびとしている、というか。みずみずしい、というか。。
まるで学生たちの心持ちを言葉にしたような言葉です。
これも結構好きな言葉。
でも学生の頃って実際は。
自分たちが「自由闊達」だ、なんて考えてなかった。。気がする。
こういう「後から効いてくる」っていうのが。。
教育なのかも知れませんね。すぐに解ってくれなくても。。
がっかりしない。「後からジワジワ」きますから。。はい。
ひろい道を。。おお股で。堂々と。。ゆっくりと。歩く。。
何度でも、こうやって思い浮かべていたいなあ。それくらい。。
いい絵だ。
おお股でズンズン、偉そうに歩くというと。
「跋扈(ばっこ)」ってのもありましたね。。
こちらの方は。何と言うんでしょう。。あまりいい印象がないかも。
「偉そう」というところが、大きく感じられちゃう言葉です。
幅をきかせつつ、といいますか。。のさばる、といいますか。
『かっぽ』と「ばっこ」。。音はかわいいな。どちらも。。
でも。
『かっぽ』したいものです。。特に。
"ひろい道"では。。
ここでワタクシの言う"ひろい道"というのは。
書いて字の通り、の。。ただのでっかい道路のことじゃありません。
もっと、もっと。。
"ひろい道"。いろんな意味でね。。
いつも思い描いている『かっぽ』の絵の中には。
実は"道"と言っても。。何もないのです。
ただただ。。だだっ広い。何もないところ。。
そうだ、『かっぽ』に文字をひとつ足してみると。
「からっぽ」になるな。。
「からっぽ」の中を。おお股で。。堂々と。ゆっくりと。。歩く。
「闊歩」する。。
ね。言った通り。。どこに向かうも何もないでしょう?。
その絵の中にある姿こそが。。
"冒険者"の姿。
とにかく。おお股で。。堂々と。ゆっくりと。歩く。。
のです。
時には鼻歌なんか交えながら。。堂々と。
この絵の中にいる姿のままで。。ずっと進んでいきたいものだ。
蛇足ですが。
ワタクシのおねーちゃん(実姉)のニックネームが『かっぽ』でした。。
それもあって近くに感じる音だったのかも。
『かっぽ』って。。
「言葉」は。それがその文字の形であってもいいし。。
何か。記憶に残っているものでも。。いい。
音の響きなんてのも。いいな。。とにかく。
好きな「言葉」を自分の中に探すのですよ。
いっぱい集める。。いっぱい。
あるはずだ。。
できれば、それを。「絵」にしてみる。。それを眺めてみる。
もちろん好きな「言葉」なんだから。。
好きな「絵」だ。
そいつを眺めて。。穏やかに。
野望の火なぞを燃やしてみるというのは。。いかがですかな(ニヤリ)。。。
Twilloでのワタクシのいつもの最後のセリフ。。
「ワタクシは自分では値段を決めていない。のです。。よ。。。」
適当なものを「サポート」のところに入れておいていただければ
幸いです。。。
いつものTwilloでの最後のセリフ。。 「ワタクシは自分では値段を設定していないのですよ。。。」 適当なものをここに置いていただければ。 幸いです。。。