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題目『ごび』

 今宵のTwilloの冒険の題目は『ごび』。ワタクシのなかに浮かんだ『ごび』は「語尾」でした。。言葉の最後ね。これについてふと浮かんだのです。。

 題目を解説しようと書きはじめたワタクシの文章の「語尾」は、じつは統一が取れていない部分が結構ありまして。。その道の専門の方ならそれが気になるかもしれません。いわゆる「です」「ます」調と「である」調の統一がしっかりできていないということ。。統一がとれていない文章はやはり読んでいて違和感がある、というか若干の読みづらさがあるものです。自分で書いて、また読み返したりしているうちにそれに気が付きました。。それで題目を『ごび』にしたというわけなのです。

 「語尾」を統一しきらないというのには理由があってですね。。ワタクシは自分がTwilloに立って話をしている気持ちでこれを書いているからなのです。だから話しことばがそのまま文章になっちゃってる。。文章としての完成度よりもTwilloっぽい臨場感を敢えて取ったというところでしょうか。
 なので、文章の「語尾」の使いにうるさい方はどうかご容赦ください。。

 ワタクシの文章の「語尾」はさておき。「語尾」は自分が言葉を伝えようとする相手にかなり大きな印象の違いを与えていると思い至りました。。

 普段、話しをしているときにはあまり意識していないですが。こうして伝えたい内容を文章に落としてみると、「語尾」が思いもよらず大きな力を持っていると気が付きました。。
 例えば。"男性っぽい"、女性っぽい"とか。。"力強い"、"優しい"とか。"乱暴"、"丁寧"とか。。「語尾」を変えるだけでその言葉の印象、さらにはその言葉を使う人の印象が大きく変わるということ。このことを意識してみるとおもしろいですね。。

 「語尾」の扱いによって、その言葉を使う人の印象が変わってくるということは。そのことで自分のキャラクターを作り上げられるということ。。作り上げることを自身では意識していなくても、「語尾」でキャラクターが決まっていることって実はあるということなのです。


 今でも「いいなあ」と思い出すのは、ワタクシが大好きで尊敬していたとあるお爺ちゃん。。白くて長い、水戸黄門さまみたいな立派な髭をたくわえていて。それだけでも印象的なのですが、ワタクシが何を思い出すかというと、その言葉使い。。その好々爺はどんな若い人にも、それこそ小さな子供に対しても常に丁寧で優しい「語尾」の言葉を使っていました。その言葉を傍で聞いているだけでもなんとも嬉しい気持ちになるくらいでしたね。。あの喋り方と独特な「語尾」がその方の一番の印象として残っています。

 「語尾」を少し意識してみてはどうだろうか。丁寧で優しい印象が出せればいいということではなくて。。自分の性格とか。自分の声とかに一番しっくりくる「語尾」。。こんなささやかなことでも。きっと思いもよらないおもしろいことが起こりますよ。。。


Twilloでのワタクシのいつもの最後のセリフ。。「ワタクシは自分では値段を決めていない。のです。。よ。。。」
 適当なものを「サポート」のところに入れておいていただければ幸いです。。。



いつものTwilloでの最後のセリフ。。 「ワタクシは自分では値段を設定していないのですよ。。。」 適当なものをここに置いていただければ。 幸いです。。。