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題目『きらきら』

 今宵のTwilloの冒険の題目は『きらきら』。

ワタクシ、たぶんいちばん好きな時間は。。
  "ぼんやりしている時間" です。
 公園とか。。静かな夜のTwilloでもいいのですが。
何もしないで、ただただ "ぼんやり" するのです。。
  それがいちばん。

 ある時、海のみえる公園で "ぼんやり" としていました。
葉巻は燻らせてたな。。それ以外はなんにもしない。
  河口付近の東京湾で。。おだやかな海だった。
よく晴れてましたね。。
  そこで日向ぼっこしながら。葉巻くわえて。。
 ぼーっと海とその周りの風景を眺めていた。

 太陽の光が。
穏やかな海の水面に反射して。。
  『きらきら』と。
それはそれは美しく輝いています。。

 はじめはなんにも考えない。
それこそ "ぼんやり" です。。
  よだれでも垂れるんじゃないか、くらいの勢いで "ぼんやり" してた。

 そのうちに。
あの『きらきら』は。。手に入らないものかね、と。
  考えてみることにした。。
 手に入れたいと考えるくらいに。
  ほんとうに綺麗だったんだ。。

 葉巻でほどよくユルクなった思考と。
『きらきら』と。。風の速さで水面を疾走する無数の光の粒たち。
  あれをなんとか。。
手に入れてみせよう。
 それを真剣に考え続けた。。


 あのちょうど『きらきら』していることろまで。
なんとか船か何かで辿り着いたとして。。
  両手ですくってみたら?。

 ただの汚れた水がすくえるだけだよ。。
そのとき、あの『きらきら』は。
  もうそこにはない。。

この手にしっかりと握りしめることができないとなると。
 ますます。。
  手に入れたくなる。

 そこから葉巻の火が消えるまで。。結構な時間だよ。
ずっと頭の中でいろいろとこねくり回してみた。。
  結局、手には。
 入らなかった。。

 そうこうしているうちに。
もう陽も傾いて。。あの『きらきら』も。
  消えてしまっていた。。


 立ち上がってそこを去ろうとする。その時。。
突然、了解した。
  ああ、そういうことか、と。。
 了解した。

 突然でしたね。そういうものなのかな。。
そこから。
 大袈裟に言うと "世界が開けた" 。。
視野が拡がったというのかな。
  その時ワタクシは。。
自由自在だった。



 この "ぼんやり" の経験が。
今のワタクシとTwilloの "在り方" に繋がっていきます。。

 
 当時の心理状態を説明するのは難しいのですが。
  単純にわかりやすく言うと。。
いよいよ、そこを去ることにして立ち上がった時。
  つまり。。
 「 "手に入れる" ことを完全にやめてしまった瞬間」に。
  了解した。。
のでした。


 実際に『きらきら』をこの手に抱きしめたのかどうかは別として。
  少なくとも。。
了解、つまり。
  よくよく理解できてしまっていた。。
 
 スジャータから貰った乳粥を。
何も考えずに飲めてしまった気分でした。。
 あっ。これはお釈迦さまの話ね。


 「なんとかして手に入れたい。」「あれを所有したい。。」
  その思考から。
完全に離れること。。
  完全に。
 それを手放して自由になること。。
それが。
 "手に入れる" 唯一の方法だったというわけ。。


  Twilloには "何もない" というのは。
そういうことだったんですね。。実は。はい。。
 このときの "ぼんやり" の賜物です。
『きらきら』の美しさ、の賜物なのかな。。
『きらきら』は。
  一生、脳裏に焼き付くことになりました。。


 すべてから離れよ。

 広い世界に住んでみよう。そこでは。。
なんでもある。自由自在だ。。

 この姿で。ゆっくりと進んでいこう。。
それしか。
  できないのだから。。

 太古のインドとは違うからね。ここでは。。
"おかしなヤツ" と思われるかも知れない。
  それでも、だ。。

 こういうことは時代や場所で変わることではないからね。
このまま。

どこまでも。。
  どこまでも歩き続けるといたしましょう(ニヤリ)。。。




 Twilloでのワタクシのいつもの最後のセリフ。。
「ワタクシは自分では値段を決めていない。のです。。よ。。。」
適当なものを「サポート」のところに入れておいていただければ
幸いです。。。


いつものTwilloでの最後のセリフ。。 「ワタクシは自分では値段を設定していないのですよ。。。」 適当なものをここに置いていただければ。 幸いです。。。