皇位継承に関する「先例」

これを書くと、色々思われる方もおられると思うので、書くのは正直迷いました。
最初に申し上げておきますと、皇位継承については「皇室典範」という「法律」にて決められていますから、以下の書く内容は現時点での皇位継承には全く関係ありません。
ただ、法や政府や先例を重視するものですから、今後の議論の参考にはなるのでしょう。(いずれも何百年も前の黴臭い話ですが、先例は先例です)

前提)「女系」と「女性」

女系」とは血統の根拠を女性(母方)にたどることを指す。
例えば、現在のイギリス国王チャールズ三世陛下は、
父:エディンバラ公フィリップ殿下(ギリシヤの王族(王孫))
母:イギリス国王エリザベス二世陛下(イギリスの王女(嫡子))
である、王位は母から相続したので「女系相続」と言える。

なお、エリザベス二世陛下自身は
父:イギリス国王ジョージ六世陛下(イギリスの王子(王弟))
母:エリザベス皇太后殿下(イギリスの伯爵令嬢)
であり、王位は父から相続しているので「女性国王」ではあるが「男系相続」と言える。

ヨーロッパ文化圏の王室の多くは、キリスト教影響下の一夫一妻制(原則)であり、また貴賤結婚(王族の配偶者が王族以外だと継承権を失う:イギリスは例外)が避けられていたことから、女系相続が主張しやすい素地があった。

日本における「男系」の根拠

日本における皇位の継承根拠について、成文で求められる最も古いものは「律令(継嗣令)」と思われる。ただ、これ以前にも大陸との交流の中で冠位等、制度の整備を実施しているので、比較的早い段階から、中華文化圏における宗族(父系同族集団)の概念が輸入されてきたものと思われる。

なお、継嗣令には女性天皇の「子」も「親王」とする決まりがあるが、そもそも同じく継嗣令で内親王の結婚相手は四世王以上の皇族と決まっているので「女系相続」を想定していない

日本における「女性天皇」の実例

神功皇后登極説は措いて、飛鳥時代の推古天皇から江戸時代の後桜町天皇に至るまで十代八人の実例がある。
三十三代推古天皇の夫君は三十代敏達天皇であり、仮にその子孫が行為についても「男系継承」と言える。
三十五代皇極天皇の夫君は三十四代舒明天皇であり、その嫡子 中大兄皇子は天智天皇として即位したが「男系継承」と言える。
四十一代持統天皇の夫君は四十代天武天皇であり、その嫡孫 珂瑠皇子は文武天皇として即位したが「男系継承」と言える。
四十三代元明天皇の夫君である草壁皇子は、上記天武・持統両天皇の嫡子であり、四十二代文武天皇の母である。
四十四代元正天皇以降はみな独身であり、子孫は居ない。

「女系」が「男系相続」の補強になったと思われる例

応神天皇五世孫である二十六代継体天皇には、二十四代仁賢天皇皇女「手白香皇女」が立后し、その所生である二十九代欽明天皇に皇統をつなげた。

また、継体天皇と尾張目子媛(おわりのめのこひめ)の間の子である二十七代安閑天皇、二十八代宣化天皇には、それぞれ「春日山田皇女」「橘仲皇女」が立后された。
このうち、宣化天皇と橘仲皇女の血統は女系で現在のご皇室につながる。

皇族の結婚条件の緩和

延暦年間、五十代桓武天皇の詔により二世王は藤原氏、三世王以下は大臣、良家に嫁ぐことができるようになった(降嫁)。
ただし、この制度の当初は内親王・女王は臣籍降下をしてから結婚した例があったが、時代が下ると内親王・女王の身分はそのままに結婚する例が出てきた。
ただ、その場合も子供は夫の家の子であり、皇族の身分(皇位継承権)は持たない。

傍系宮家による相続

百十八代後桃園天皇は東宮のないまま崩御されたので、閑院宮家から百十三代東山天皇の三世孫である光格天皇が即位した。

皇籍復帰

五十八代光孝天皇は、又甥である五十七代陽成天皇のピンチヒッターとして即位したが、陽成天皇の系統に皇位が戻ると想定して自身の子女を殆ど臣籍降下させた。
ところが時の関白・藤原基経の思惑もあり第七皇子であった「源定省」が皇籍に復帰し、五十九代宇多天皇として即位した。
なお、宇多天皇の即位とともに、臣籍に下った皇族がある程度皇籍に復帰している。


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