ハングマン -HANGMEN-

<感想>

 twitterでもつぶやいたが、この芝居の舞台が英国での死刑(絞首刑)制度廃止前後の話なので、テーマとしては、

・正義とは何か(人を死に追いやってまで償わせるべき悪とは何か?)
・死刑制度の善悪
・冤罪の可能性

などといったものがセリフのキーワードとなって挙がってくると想定しながら観劇した。

 しかし実際は、そういった重たいテーマは、ホン(脚本)の中で大上段に構えて議論されない。出来事は悲惨で正気の沙汰ではないのに、ハリーもパブに集まってくる常連客も、そのことについて真剣に考え悩み・行動をすることはない。

 登場人物から悲惨さや後悔の念や反省などがまったく醸し出されないまま、ドタバタしている間に "うっかり" 人が死ぬ。そして人が死んだ後も、登場人物の誰もが尊い命を奪ったことに対して無関心だ。遺体の処理の面倒くささを避ける気持ちだけ抱えて去って行く。

 なんだろう、この登場人物たちの軽さは? なんだろう、この登場人物たちの無責任さは?

 そんな不思議さを残して物語が終わった。

 この芝居を観て、自分の気持ちにどのように折り合いを付けて良いのか、少し迷った。

 で、辿り着いたのは「人間は見たいものだけを見る、信じたいものだけを信じる」「事実は常にひとつ、真実はひとりにひとつ」ってこと。

 そこに座って「こんな事態になってるのに、なに馬鹿なことしてるんだよ」と笑ってるあなた! あなたもハリーやアリス、パブに集まっている常連客の一員になってやしませんか?---という問いを投げ返されているのではないか?ってこと。

 この芝居の中で起きている出来事は、英国北西部のほんの小さなパブで起きている出来事。ミクロな視点で見れば馬鹿げた人間たちが信じられないほど(笑ってしまうほど)馬鹿げたことをやってるけれど、これを地区(市町村など)、地域(都道府県など)、国家(日本など)・・・とマクロの視点に敷衍してみたら、自分(あなた)も、この登場人物(の誰か)と同じような立ち位置に立ってやしませんか?

 そう考えると、ハリーの「公正さって、こんなもんかね?」(といった趣旨のセリフ)が刃を自分に向けて突き刺さってくる。正しさ(正義)って「事実」のようにたったひとつのものではなくて、案外「真実」と同様にひとりにひとつあるものかもしれない。それを誰が判断できるのだろうか---。

 ところでムーニーはいったい何者だったのだろうか?