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会話中に波動拳を撃ちたくなる習性があった(ある)話

真面目な記事を書いた翌日にクソどうでもいいことを書く。

前置きしておくと、たまにである。

私はたまに、素直じゃない。

現実での私はnoteでの私よりも全然素直じゃない。

私は予定調和に耐えられない変態であるときがあった。

保身のために過去形にしているが、今でもこの習性が顔を出すときがある。

相手に期待されているであろう返しをすることが何故かむず痒い時がある。

会話の腰は折りたくないが、
少し仲良くなってくると、
たまに“フツーの会話”に飽きる。


「モテるでしょ?」と言われ、
「そんなことないですよ」と言う返しが寒くて実際に2℃下がる。

なんだその予定調和すぎる会話。
このラリーになんの意味がある。

あんたとはこんな会話をしたくないんだ!(?)


だからその場その場で斜め上の回答をしてやる。
結果変な空気になったりする。
斜め上とかではなく↓↘→+Pみたいな返答をしてしまい、相手はちょっと引く。

もはや引かせたら勝ちだと思っていた。(何が?)

でも最近は真実なのでモテないと真顔で言う。それはそれで違う意味で寒くなる。3℃下がる。わしゃエアコンかゆーて。

素直になって本音を話す条件に法則性が見えない。
てか素直になるってなんだ。

noteでもフォローよろしくお願いしますとかそのまま言えない。
言うとしたら、ヨローふぉろしくお願いしますとか言ってしまうだろう。

もう面白くなくてもいいから無理矢理ユーモアを入れないと私は私を保てない時がある。ヤバイ。
もはやユーモアの意味を履き違えているとしても止まらぬ。
殆どパワープレイに近い。

イタくないと思われるよりはイタいと思われてしまえ、えいっ!
と衝動的に暴走する。してもいい相手を好きになる。(迷惑)
でも本当にイタいと思われたら困る関係性の中では空気を読んだ。

一応、社会性を身に纏ってみる。
でもたまに飽きてしまう。
こんな自分に対して「めんどく」まで声に出かかって、
「さい」まで言いたくない自分もいた。


少し関係が深まってくると、
一つの自分だけ見せることに飽きる。

ある知人曰く私は真面目らしい。

真面目と言われるとふざけたくなる。
しっかりしてると言われるとふざけたくなる。
外面を見られると内面を出したくなるし、
内面を見られると外面を出したくなる。



だって人間は多面体やん。
正十二面体くらいなのに一つの面だけで評価されることになんとなく反骨精神があり、
せめて正四面体くらいに見せようとする。
......。


という話を長年の友人にしていたら、

「めんどくせぇ」と一蹴された。

私のこの性格は、こいつがいてくれることで救われている。ありがたや。

「めんどくさいと言ってくれる友だちがいると助かるわ」

とは言わず、竜巻旋風脚を喰らわせてやった。
ウケた。
勝った。

hey,siri.
これをエッセイのカテゴリーに入れようとしている俺は大丈夫?

2019.8.20. Androidユーザー

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