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あの日、キスをした理由

 サイテーの男だった。
「子供は泣くのが仕事、女は可愛いのが仕事」
「美醜なんて、皮一枚」
 もちろん、女のまえでは話さない。でも、男友達とタバコを喫いながら、煙といっしょに吐くのは、セクハラ暴言ばかりだ。
 職業は、風俗スカウト。
 街角で行き交う女の子に「もしかして芸能人の〇〇?」と声をかけて足をとめさせ、ナンパ。強引に自分が契約しているキャバクラやバー、ひどいときは風俗店に落としていく、悪魔のような男。
 それがわたしのツレだった。
「おまえは売らん」
 酔うといつも、わたしの胸にもたれかかり、そう繰り返していた。
 たしかに男は、わたしにはひどいこともいわないし、手を上げたこともない。
 店で働けとそそのかすこともしなかったし、むしろ、わたしがほかの男と話をするのすら、嫌がった。
 けど、わたし一人に優しかったからといって、たくさんの女を食い物にしてきた罪が許されるわけではない。
 結局、対立するスカウト組織ともめた男は、街にいられなくなり、ほかへ行くことになった。
「いっしょに行こうぜ」
 来いよ、といわれたら、ついていったかもしれない。
 でも男は、さいごまで、わたしに無理強いすることなかった。
 だまってるわたしに、男は、いきなりキスをした。
「今までありがとう」
 わたしは何もしていない。してあげられなかった。ただ、そばにいただけだ。
 それっきり男とは二度と会うことがなかった。
 今でも時々、思う。
 あの日、キスをした理由。
 スカウトした女にも、あんな風にキスしていたのだろうか。
 きっと、ちがうはずだ。
 なぜなら、あの時のキスは、涙の味がしたのだから。
 いまだ疼く胸の痛みを抱えながら、今日もわたしは、彼が最後にくれたお金で開いた、新宿2丁目の店に立つ。

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