見出し画像

80年代に勤務していたビルは、イオンモールになっていた

一年ぶりに訪れた岡山で「懐かしい」が止まらない。市内外れにあるホテルからタクシーでイオンモールに向かう。妻子が早朝にイオンシネマで映画を観るためだ。

タクシーの運転手さんが「今朝2号線で大きな事故があり、通行止めになって大渋滞したんですよ」と教えてくれた。なるほど、その所為か市内へ向かう道も混んでいる。

そこで「昔、このあたりのビルで仕事していたんですよ。確かここ(右側を指差し)に◯原駐車場があって・・・」と言うと「◯原駐車場ならここ(通りすがりに)ですよ」と言う。すべてが変わったように見えるが、俺の記憶力はどうしてどうしてなかなかやるもんぢゃろう😏

その駐車場の隣にわが社が入った◯一生命ビルがあった。つまりイオンモールは2ブロック分の上に立っていた。

縁もゆかりもないイオンモールだが、青春時代を過ごしたこのビル跡地にそびえ立っていると思うと、なんだか愛おしく感じられる。わが社はそのビルの最上階14階にあったので、現在のモール最上階より高い位置にあった。

最上階の北東に面した角部屋から岡山駅方向を見る景色は、今でも忘れられない。新卒で見知らぬ土地に赴任したこともあり「辛く苦しい日々95%」だったが、楽しい思い出もたくさんある。

会社の命令で赴任しただけで、自分の希望で来たわけではなかった。想定外の人生を歩んでいるような気がして、毎日が歯痒かった。コントロールできない船に乗って流されているような気がしていた。

しかしながら、流されていく船も時には係留地で思わぬ娯楽に出会うように、猛暑日にキンキンに冷えたソーダで喉を潤すような、歓びの日々があった。

やがて2年が経過して、これまた予期せぬ転勤命令が出て、最初は「新天地で頑張ろう」と決心したものの、ひと晩考慮したのちに翻意して、翌日社に辞職を通告した。そこでまた予期せぬ展開で「転勤はなかったことにするので(あくまでも内示だったという解釈)そのまま岡山で勤務してほしい」と言われた。

ここでこのまま勤務し続けるのも選択のひとつだが、すでに辞める気になっていたのでもはや働く気はしなかった。それに自分の意志で東京へ戻ろうと決めたのだから「流される船」に再度乗る気はなかった。

振り返っても、いい決断だったと思う。

妻子が映画を見ている今、かつて自分が勤めていたビルの地下で、35年以上前の日々を思い出し、これを書いている。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?