解離と将来の離人

こんちは。ちょっと混ざりの釐?です。いややっぱ良くわからない。
今日は、もしかしたらこれも解離や離人の類なのかなあと思ったことを書きます。

僕ら、昔は未来を目指して生きていました。
将来はきっと幸せになれるから、と。
家を出れば母さんに何を言われることもなくなり、
金を稼いで自分の好きなものを買えるようになり、
お金が貯まれば性別を変えられるようになり、

自分の好きを、ちゃんと自分で愛せるんだって。
そうやって将来に夢見て、頑張ってたんです。

だけど、ある日母さんに
「大人になってからできなくなることの方が多い」と言われ、
それが胸に深くブッ刺さってからは未来のことを考えなくなりました。
というか、未来のことを考えられなくなったんです。

と言うのも、将来…近い未来でもいいです。
三ヶ月後とか、そんな身近な未来でもなんでもいい。とにかく僕の先。
そのさきが、続いている未来に現実味がわかなくて。
なんだろう、根本的な部分で多分違うんです。
「未来幸せにやっている」が思想判断スタート位置なんじゃなくて、
「そもそも未来が存在しているかわからない」がスタート位置。

先があったとして、多分その僕は笑ってないだろうし、
僕が小さい頃掲げて信じ続けた明るい理想と未来はそこにあるわけがない。
それは御伽話であり多分もうずっと叶わないんだろう。
そうとしか思えなくて。別に努力をしていないわけじゃないし、
明るい未来を手放したわけでも悲観したいわけでもなくて、
諦めたわけじゃないのに、
どうしても「幸せ」が自分のことだと思えない。

だからそんな未来の話をされても未来のことが考えられなくて、
そもそも未来があるかどうかもわからなくて、
僕はずっとこのままなんだろうなって思ったり。
生きていても笑える未来なんて来なくて、
安心できる場所なんてなくて、
支え合える人なんていなくて、
頼れる人もいなくて、
ずっと自分の殻に篭りながら自笑を続ける運命なんだろうと。
だってこんな僕ですよ。悲観するわけじゃないけど、
自虐じゃないけど、ありえないじゃないですか。

と思っていたんですが、これがもし
「大人になってからできないことの方が多くなる」と言われた時の
トラウマが引き金となっている離人や解離の現象だとしたら?と
頭に浮かびまして。

叶わない時の苦しみや絶望が辛くて、苦しくて、
それを自分から「幸せになる」という夢ごと切り離しているのだとしたら、
諦めているわけでも自虐しているわけでもないのに
思考上で未来の自分に辿り着けない理由も納得できる。
本当に幸せになりたくないわけじゃないし
そもそも幸せになりたくないんだったらさっさと死んでるんですよ。
なのに、どうしても、まるで渡る橋自体が底で途切れてるみたいに、
今の自分と、そこへ向かう自分と、未来の自分で切り離されていて、
そこへ向かう自分もいなければ、
未来の自分はおとぎ話のような気分でそこにいる。
考え始めると突然フワフワして、霧のように消えてしまう。
潜在意識では確かにそこにあるのに。
なんとなくあるんだろうなって理解できるのに
真正面にしようとするとすぐ消える。そんな、いつかの「夢」である。
夢は叶わないものだから、夢は夢であり
夢の中から人が出てきてくれることもないから。その解離の症状が
最近の「鮮明な幸せな夢」の表れになっているのなら
辻褄が合うなぁ、と思ったんです。

いつか未来へ向かうことはできるのかな。
いや生きてたら未来へは向かうだろうけど、
着々と生きている実感が持てたらいいなって思いました。

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