20181210摩天楼で君が出会ったあの人は__3

摩天楼で君が出会ったあの人は……

※天狼院書店様のメディアグランプリに過去掲載された記事です。
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http://tenro-in.com/mediagp/65561


「ニューヨークに行かない?」

ある日突然夫がそう言い出した。あまりにも突然だったので、何で、と聞き返したら、夫は神妙な顔で「真梨子さんがニューヨークのカーネギーホールでコンサートするらしい」と答えた。

「年齢的に、これが最後だと思うから、見に行きたい」

真梨子さんとは、歌手の高橋真梨子のことだ。
夫は昔、高橋真梨子のマネージャーをしていた。


今では飛ぶ鳥を落とす勢いのベストセラー作家、かつExcel研修の第一人者となった夫だが、学生の頃は本気でミュージシャンを目指していたそうだ。大学を卒業して就職する際、夢の延長で音楽事務所に入社し、高橋真梨子付きとなった。

「最初の数カ月は最低だった。このテープを録音しておいてって言われて、事務所の隅っこでひたすらダビングしてるだけだった」

音楽事務所は、およそ三年で退職したそうだが、よほど熾烈な日々だったようで、酒が入ると、思い出したようにこの頃のことを話していた。舞台裏の雰囲気を懐かしむ話、高橋真梨子とその夫の食事に相伴した話、羽田空港まで車で時間ぎりぎりに送っていった話。私が失敗をして落ち込んでいると、自分もこんな失敗をして先輩にどやされた、という話で励ましてくれた。

「舞台裏で、スタッフが食べる用のお菓子を用意するんだけど、せんべいとか音がするやつはNGなんだよな。カントリーマアムにしろ、って言われてさ……」
「公演中に、はじっこから、ふっ……、ふっ……、って照明が消えていくんだよ。みんな大慌てで走り回って、電源車だ! ってなって……」
「預かってたものが、置いたはずなんだけど、どうしても見つからなくて……」

時代錯誤だなあ、ひどいなあ。私がそんな風に返すと、俺もこんなんだったからお前も大丈夫だ、といつも締めくくるのだった。そう話してくれることはとても励ましになっていたのだが、励まされるこちらが唖然とするほど痛々しいエピソードばかりで、三年で嫌気がさして転職した、というのはとても説得力があった。

そんな夫が、高橋真梨子のコンサートに行きたい、と言い出した。私は高橋真梨子のことは好きでも嫌いでもない。いくつか知っている曲はあるが、それくらいだ。正直なところ、当時まだ夫の会社ではない企業に勤めている身としては、ツアーの日程の休みを取るのは結構大変だ。しかし、どこか神妙な面持ちの夫を見ると、答えは一つしかないような気がした。

「いいよ、行こう、ニューヨーク」

夫は安堵したような顔をしていた。バタバタとツアーの手配をし、休みの手配をし、ニューヨークへと旅立った。夫の友人でニューヨーク勤務の方がいるので、現地で落ち合い食事をし、初日から楽しい時間を過ごした。

「吉田くん、高橋真梨子のコンサートでここまで来たんだよね、すごいね」
「まあ、真梨子さんもお年だしねえ。もう最後だと思うと、見ておきたいなと思ってさ」
「そうかー。マネージャーだったもんねえ」
「もう俺のこと覚えてるかは分からないけどなー」

ツアーは自由時間もかなりあるので、ニューヨーク観光もゆっくり楽しむことができる。夫はマネージャーの頃、何度かニューヨークに来た事があるとのことで、完全にお上りさんの私に合わせて観光してくれた。自由の女神の前でポーズを決め、セントラルパークでリスを追いかけ、ブロードウェイミュージカルに興奮し、メトロポリタンミュージアムであまりの素晴らしさに卒倒しかけた。折々で、仕事の合間にちょっと行ったことがある、ここはスタッフのあの人が行った、と思い出を話し、最後に懐かしいなあ、辛かったなあ、とため息をつくのだった。

ツアー客が高橋真梨子に会う機会は二回ある。一回はもちろんカーネギーホールでのコンサート。もう一回はコンサート翌日、ツアー客限定のディナークルーズだ。なんと、高橋真梨子と一緒に写真が撮れるらしい。もし彼女が夫のことを覚えていてくれるとしたら、クルーズの時に分かるはずだ。

コンサートは素晴らしかった。彼女のファンではなく、時差ボケで眠すぎた私でも感動するくらい素晴らしかった。そしてディナークルーズ当日、ツアー客が高橋真梨子と写真を撮るために順番に案内されていく。いよいよ夫と私の番が来た。

クルーズ船の甲板に、高橋真梨子、ヘンリー広瀬、バックバンド、その他スタッフの方がずらりと並ぶ。夫が立ちすくむように足を止めた、その時。

「あれー? よーしーだーじゃーん!!!」
歌そのままの迫力のある声で、高橋真梨子が、二カッと笑った。

「……覚えててくださったんですか!」
「覚えてるよー、わざわざ来てくれたのー?」

横でスタッフの方が「名前を見てもしやとお調べしました」とニヤニヤしている。夫はしどろもどろになりながら写真を撮った。時間にしてほんの数分。

「覚えていてくれた……」

次の人の番となり、クルーズ船内に案内されながら、夫は必死に涙を拭いていた。
その後、夫は仲の良かったスタッフとずっと話し込んでいた。クルーズ船からはニューヨークの摩天楼を月が照らしている光景が見え、とても綺麗だった。夫は日本に帰るまで、何度も「覚えていてくれた、俺はそれだけで十分だ」と口にしていた。

ニューヨーク旅行以後、夫はマネージャー時代の話をあまりしなくなった。テレビで高橋真梨子を見かければ懐かしむし、素晴らしい演出をみかければ感嘆の声を上げる。しかし、マネージャー時代の話はしないのだ。きっと、夫の中で何かに区切りがついたのだろう。

夫があのツアーで会ったのは、若かりし日の自分だったのかもしれない。

≪終わり≫

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