見出し画像

小屋を直したけど、ただ直すことが必ずしも良い事とは思えないという話

我が家の入り口にはトタン屋根のほとんど吹っ飛んだ鉄骨造の小屋がある。昨年この地に引っ越してきてからも突風の日に一枚剥がれて飛んだ。もはや危険建築となっていたので、取り壊すか直すかする必要があった。

とてつもないゴミダメだったので、ここまで片付けるだけで超一苦労だった。2槽式の洗濯機が6台くらいあった。

土台部分は錆びたり腐ったりでカスカスになったり、ひん曲がったりしているが、まあどうにか使えそうという結論になり、直す方向で考えることにした。小屋のサイズもさほど多くないし、そんなに修繕も大変じゃないだろうし。もちろん小屋があれば便利だし。

色々考えて、ちょっとした温室のようなものにすることにした。そうすれば寒冷地であるここ島根の山村でも作物の栽培に有利になるし、保存のための野菜の乾燥から、冬や梅雨時期の洗濯物の乾燥にも利用できるはずだ。

ビニールハウスのように密閉はしない。各所隙間だらけ。その方が施工も楽だし、乾燥目的ならいいはずだろう。

材料はできる限り廃材を利用し、足りない部分は自然の恵みをいただく。木なら裏山から取ってこれる。

屋根の垂木は廃角材の長さが足りなかったので、昨秋に倒しておいたヒノキの細いところを使ってつなぐことにした。

本当はこういうありものの素材や、自分の力で工面できるものだけで済ませたいのだが、ビスなどはもちろん、屋根材は買ってくる必要がある。

物の溢れる時代だからこそ新しい物を買うのには慎重になりたいと思っている。そんなこともあって以前は焼杉を屋根材にしたことがある。ただし、屋根としての精度は決して高くなかったし、耐久性も不明だ。土砂降りの時は雨がもる。そこそこの雨は耐えていたけど。

温室的なものにするために、屋根は透明なポリカーボネートを使うことにした。スペック的にも10年持つと言われ、実際はもっと長く持ちこたえるようだし、強度も高い。石油製品なのが気になるところなのは、こういうものはボロボロになったときにマイクロプラスチックを撒き散らすからだ。そしてその辺に捨てておくわけにもいかない。例えば茅葺屋根だったら家が朽ち果てても大地にそのまま戻っていくだけだ。古民家に越してきてからというものの、そういう厄介なゴミを大量に整理した。そして僕もまたそんな素材を使っている。垂木の丸太を使用した箇所などがひん曲がっていても、ポリカ波板の柔軟性のおかげで難なく施工することができたのはありがたかったけど。

三方の壁は塩ビの波板が付いているのでとりあえずそのままにして、前方の壁をハウス用のビニールで貼ることにした。これもいずれボロボロになるので最初は使うのに二の足を踏んでいたのだが、使い古しながらそれなりにしっかりしてるし、寿命を全うしてもらうことにした。

それでも施工の際に少し閉口してしまったのは、ポリカーボネートを切断するときや、ドリルで穴あけするときにはこれでもかとプラスチック片が吹き飛んだことである。外で作業していたから環境に撒き散らしてしまった。

物を直し直し使う、というのは言葉だけはとにかく綺麗だけれども、実態は必ずしもそうとは言えないなと思わされる。

そもそも小屋を直すことにしなければ、ポリカーボネートの屋根を買ってくる必要もなかったのだから、そのまま解体してしまった方が環境負荷は小さかったことになる。物が壊れたって、直したり買い替えたりもせずに、物が一個なくなったまま生きるのがもっともシンプルだ。別に小屋はなかったらなくても生きていける。だからこそ直した以上は大事に使わなくてはならない。

屋根については実は色々悩んでいて、防水性能を考えると、あまり環境に良いとは言えない素材のチョイスばかりなのである。トタンやガルバニウムなどの金属で屋根を葺いたとしても、その下地には防水紙が必要だ。

かといって、杉の皮を引いて、屋根土盛って、瓦をのせるなんてレベル高すぎる(昔の瓦屋根はこのようだった)。いや、やればできるのかもしれないが。

我が家は母屋の屋根も修繕が必要なので、色々悩ましかったのだが、最近はでかい屋根をいちいち直すより、ぶっ壊しで、小さな家として組み立てた方が簡単だし、かつ、新たに購入する資材も少なくなるということに気がついた。今回の小屋だって、屋根材だけで4万円くらいかかっている。ならば普通の一軒家となると、それなりにかかる。

しかも幸い、我が家には解体すべき納屋があるので、母屋に住みながらその納屋を小さな家に作り変えるという選択肢が生まれた。

家なんてものは一生もんでもなんでもなく、どうせ直し直し使っていくものだから、小さければ小さいほど、修繕費はもちろん、その手間も軽減されることになる。

現在あるものに何かをプラスするより、一旦解体、すなわちマイナスしてみると、そこに自由に足すことのできるキャンバスが生まれる。

散らかった部屋に何かをプラスしても大した違いはないが、スッキリした部屋へのプラスは大きな違いをもたらすことができるものだ。実はイノベーションとは引き算なんだと思うのは、普段の1の思考を0に戻さないと、0から1を生み出すような破壊的アイデアは生まれ得ないと思うからだ。

とにかく現代は物から情報から溢れすぎている。だからこそ、一旦手放す。捨てる。壊す。そうすることで、大切にする、とか、大事にする、とかいう意味が良くわかるようになる気がする

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?