すぐ「役に立たない」ものにこそ

ノウハウやメソッドの話が、とみに心に響かなくなった。

「〇〇すれば、結果が出る」

効率やスピードが求められる世界で、それはとても価値のあることだろうと思う。けれど、情報が大量に飛び交う時代、「答えは何か?」というインスタントな知識よりも、「その答えをどう見るか?」の見方・モノサシの方が大事なような気がします。

世界をどう見るかのモノサシ。

それがつまっているのは、やはり「古典・名著」なのだなぁ。

そんな想いを強くしたのは、この新刊を担当したから。

去年、放送されてたいへん話題になった「100分deメディア論」。その座組で「続編を!」というオファーに共著者のみなさまが応えてくださって、誕生した本です。

名著の紹介の体裁をとっているけれど、そこで語られていることは、現代的な問題ばかり。ナショナリズム、民主主義、権力支配、メディアの大衆化…。いや、正確に言うならば、何十年も前に書かれた本が捉えていることが、本質的で射程が広く、時代背景が変わっても通用してしまうということ。

たとえば、中島岳志先生が選書・解説くださった「アメリカのデモクラシー」(トクヴィル)という政治学を志す人の必読書である古典。

そこでは「多数者の先制」(いわゆるポピュリズム)を防ぐために「中間共同体」の必要性を説いています。50年代アメリカで、「反知性主義」が台頭する中でも、民主主義がしっかり機能していたのはなぜか。そこで注目すべきが、個人と国家の中間にある「タウンシップ=中間共同体」だったと言います。教会・組合・結社などの自治的な共同体が、合意形成の場となり、人々のいわゆる「横のつながり」を作っていたと。

しかし、うまくいっているように見えるアメリカのデモクラシーにも懸念があると予測します。引用します。

トクヴィルは、メディアの「マス化」こそが、先ほどお話しした多数者の先制や、それを担う封建的権力が生まれる原因になると考えていました。つまり、新聞や雑誌がどんどん巨大化してマスになっていくと、人々は以前のように中間領域に参加しなくなってしまう。(略)わざわざそんなことをしなくても、メディアから十分な情報を受け取ることができるからです。
すると中間領域は底抜けになり、人々はマスメディアを通じて政治家と一対一で向き合うようになっていく。やがて、人々は画一的で扇動的なメディアの情報に踊らされて、多数者の先制を生み出していくことになるだろうというのが、トクヴィルの予測でした。

まさにtwitterで政治家と直につながり、扇動されている現代のようです。政治に限らず、意見を醸成したり、議論を交わす場(中間共同体)がなくなってしまったことが、現代の「分断」や「極論ばかり」の空気につながっているのではないか、そんなふうに僕は感じました。

本書では、そのための対抗策として、地方ラジオの可能性など地域コミュニティにも言及してくださっていますが、今、そうした小さなコミュニティが注目を集め始めていることも、違った視点で解釈することができそうです。


・・・と、挙げるときりがないのですが、過去の名著には、現代の事象を捉え直す「補助線」としての力が備わっていると感じました。

そして、これこそ、ノウハウやメソッドなどの効率・即効性ばかりがもてはやされる社会に対して、「本」というメディアが提示できる唯一最強の武器ではないでしょうか。

知識を増やすのではなく、世界の見せ方を変える。そのために「本」が持つ可能性をつよくつよく意識することができた1冊でした。

社会を、今見えている角度とは違った視点で見る。そのために、深く・ゆっくりと読める本をつくったり、あるいは広めたりしていくことに、これからもっと人生の時間を注いていきたいと、かなり確信めいて感じている今日この頃です。



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この記事は「投げ銭」記事です。実験的に、お金を回していく仕組みに参画してみたいと考えました。記事をおもしろいと感じてくださった方は「投げ銭」よろしく御願いいたします。

merci beaucoup

坂口惣一

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