「本を売りたい」は誰のため?

さいきん、「編集者2.0」のワードをしきりに耳にするようになった。いまさらいうまでもなく、情報の伝わり方がまったく変わってしまって、WEB上で話題に上らないコンテンツは、存在していないも同然。ということのようだ。SNSやブログを駆使して、制作段階を公開したり、情報を発信したり、フォロワーを集めたり…。

やらなきゃいけないなー、と思っていながら、なかなか動けないのはおそらく優先順位が低いからだ。優先順位が低いのは、ほんとうのところで「大切さ」を感じていないからだろう。日々の生活が忙しいということにして、noteだっていつでも始められるのに、先延ばしにしていた。

そんなウダウダ言い訳を巡らせていたある日。

とある書店の閉店を知った。

代々木上原にいきつけの美容院があって、2か月に一回通っている。理由は、カリスマ美容師がいるから、ではなく、カットのときの会話をしなくてもすむ美容師さんを見つけたからだ(髪を切られながらの雑談が苦手を通り越して、苦痛なのです…)。

いつものように美容院にいくと、テーブルの上にめずらしく、本屋さんをテーマにした書籍が置いてある。「幸福書房」の店主の本「幸福書房の四十年 ピカピカの本屋でなくちゃ! 」だった。

店がまえはまさに「街の本屋」。一通りの雑誌をとりそろえ、人がすれ違えるかどうかの店内には狭いながらにこだわりのセレクトがそろえてある。美容院までの通り道にあって通るたびに、大丈夫かな?と勝手に心配していたのだが、今年2月末にお店を閉じたそうだ。

だが、閉店までのエピソードがすごい。

作家の林真理子さんが懇意にしており、お店をつぶさないようにサイン本を1万冊書いて、週刊文春でお店の告知をしたり、ついには金銭的支援を申し出て続けてもらおうとしたり。閉店の日は新聞などメディアが取材に殺到。40年の歴史の中で、最も売上が立つほどだった。とにかく地元に愛されていた。

街の本屋さんは、書店流通のしくみのなかでは、なかなかしんどい。仕入れたい本の冊数を指定しても、取次からは「配本」されない。売りたい本が満数届かないのだ。制約のなかで、地元の愛好者さんが求める本を並べる努力を続け、経営努力を続ける。苦闘の日々を振り返った、その本を読みながら、髪を切られていることを忘れて涙ぐんでしまった。

書店は企業努力が足りないから淘汰されるべき?

便利なAmazonがあれば書店も取次もいらない?

そもそも電子書籍で充分ではないか?

一面では否定のしようがない時代の流れにも見えるが、ほんとうに正しいのだろうか。うちの地元、茨城県ひたちなかの商店街にも本屋があった。小学校から高校までお世話になっていた。コミックの発売日に、ワクワクしながら通ったあの高揚感を、いまでも思い出す。今の中学生はどこで本を買うのだろう。20年後、本をつくる立場になって伝えたいのは、もしかするとあの書店に走る高揚感なのかもしれないとときどきおもう。

ネット上で自分の担当した本を知ってもらうことで、地元の書店をのぞく人がいるかもしれない。会社の帰りに寄る予定のなかった書店に足を運ぶ人がいるかもしれない。そうであるならば、情報発信にもすこしの意味がある。優先順位があがった瞬間だった。

ベストセラーのつくりかた、とか、売れる企画書の書き方、とかたいそうなことはほとほといえないのですが、日々とても真剣に本のことをかんがえて、つくっています。その悩みや葛藤やよろこびがつたわる記事になっていけばいいなと思っています。


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坂口惣一

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