「答え」はすでに古典に書かれている

元号が「令和」に変わった。

うちのPC は変換してくれないのでなかなか不便である。それにしても、元号ネタがこんなに盛り上がるなんて、思ってもみなかった。みんな好きなんだな。平成のときは大メディアからの一報的な発信だったけど、本当は語り語ったんですね。SNS 時代ならでは、だ。

特需で「万葉集」関連本が売れている。国書からの初引用が(その反論も含めて)話題になっているけれど、そしてその是非はここでは問わないけれど、国民的行事として古典に目が向く機会はとてもいいものだなぁと純粋に思う。

そこでしみじみ感じるのは「まったくあたらしいものなんて、もうないのだよな」ということだ。(これは最近、本を編集していても考えるところ)。

「新しさを感させるパッケージ」や「あたらしい解釈」はあるのかもしれない。けれど、すべての思想も発見もこれまでの積み上げの上に成される。自己啓発や人生論のたぐいは、昔の人が何百年も考え続けていて、本質は射抜いていてくれているのだ。

最近、個人的に「古典ブーム」である。「ほぼ日学校」へ通ったり、「100分de名著」のプロデューサーの方とお仕事をさせていただいたりしていると、現代の悩みや課題は過去の古典・名著にすでに答えが書かれていることを知る。

「古典ブーム」と書いたけれど、ブーム(また時期が経ったら過ぎ去ってしまうもの)というわけではない。もっと大きな視点で、これまでの人類の遺産にもう一度脚光を当てていかないといけないのでは?と出版の末端にいる人間として思う。

twitterを見ていても、何かを語るときの「前提」ってもうほとんど共有されていないと痛感する。情報はフラットになった。いつでも、誰でもアクセスできる。だからこそ、「前提」がすっ飛ばされる。寿司屋の修行不要論よろしく、「答え」に「現実問題」に、効率よくたどり着くことが重視されすぎている。

納得感のある言葉を、短く、手際よく、ピシッとまとめることにばかり目が行き過ぎて本質が置いてけぼりになっている。言わなきゃ損。言いたいことを言う。それだけでいいのか。そう僕は感じてしまう。そんなことはありませんか?

担当した新刊『暗号通貨VS.国家 ビットコインは終わらない』で坂井先生も「巨人の肩の上に乗る」ことの重要性を語っていらっしゃる。でも、古典ってまどろっこしい。長いし、難しい(と感じてしまう)。

だから、「人」なんだと思う。知り合いがオススメした本はすんなり読める。そこからでいいじゃん。「自分なりの解釈」から始める前に、他人のススメに乗ればいいのだ。

問題は誰が勧めてくれるか。それがメッセージになる。

もう知識を詰め込むだけの読書は終わりにしよう。これからの自分のテーマである。


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坂口惣一

コメント2件

坂口さんちなみに元号変わるのは5月…!
ありがちな…!
1ヶ月先を生きてました。
しょうもない間違いなのでこのままにしときます。笑
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