「すごい人」と仕事をするとき心がけていること

あまり役に立たない話を書きます。

編集のおしごとで著者さんとやり取りをするとき、相手は必ずといっていいほど「すごい人」なわけです。そんな人と、どうすれば関係が切り結べるか。メソッドではありません。僕が目指す「境地」みたいなものです。それも道半ばです。

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普段だったら会えないような成功者や経営者の方とお会いできる。質問ができて、話を聞ける。このしごとの「役得」でもあるのですが、とはいえ、「相手にメリットをもたらせる自分でないといけない」といつも焦りを感じていました。なにより20代の頃は、経験も引き出しもないところでお会いするものだから、緊張してろくに話もできなかったし、ひたすら空回りしていた記憶があります。

もちろん、いまも「憧れ」の人に依頼をしにいくと緊張しまくるし、「対等に」ものを言えるほど成長もしていません。

ただ、「すごい人」と相対したとき、いつも心にとめることがあります。

それは、自分は「ニック・キャラウェイ」であろう、ということ。


説明するまでもないですが、アメリカ現代文学の名作『グレートギャツビー』の主人公・ギャツビーは語り手である「ニック」の視点を通して描かれます。夜な夜な豪華絢爛なパーティをするギャツビーは、語り手ニックとは別世界の住人です。だからこそニックはその派手な生き方に惹かれ、ギャツビーの生き様を理解しようとします。

強烈な個性のギャツビーが陰も陽も含めて魅力的な人物としてイキイキと躍動するのは、まさにこの「語り手」の目を通じて描かれているからと言えます。ちょっと乱暴に解釈してしまえば、誰かの(理解ある)視点があってこそ、魅力は魅力として成立してくるのではないか、ということです。

「すごい人」と同じ知識・同じIQで対等に話せることができれば、それはそれですばらしい。けれど、そのために背伸びはしつつも、やっぱり「ニックの視点」で相手を見ることこそが、課された使命であり、良い仕事につながるのではないかとどこかで信じている自分がいます。(すごい人に追いつくのではなく)

では他者(読者)の視点を保つために必要なことはなんなんでしょうか?

それは、知識の量やコミュニケーション能力ではありません。

「正直」であることだと思います。

自分の中に湧いてきた感情に気付けるか。ちゃんと言語化できるか。

ギャツビーのパーティに参加したほぼ全員が、彼の素性を本当のところは知らず、醜聞や噂を都合よく理解して思考停止していたのとは逆に、世間の常識や他人の噂に惑わされずに、目の前の物事を自分の見ること。みずから「おもしろいな」「それはおかしいな」と判断できること。

そんな純真さを担保することではじめて、すごい人と対峙した「すごくない自分」の存在理由がでてくるのでは、と思っています。

と、言葉でいうほど簡単ではないのですが…。

いや、だからこそ、気後れするほどの「すごい人」の懐に飛び込んでいかないとな、という自分を鼓舞するための稿でした。

やっぱり役に立たなくて、すみません。

※今回のヘッダー写真は、写真家の稲垣純也さんのお写真をお借りしました!素敵な写真の提供を誠にありがとうございます!

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「すごい人」と仕事をするとき心がけていること

坂口惣一

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坂口惣一

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