ガヤと素人と俄かと玄人とプロ

言いたいことが言えない、こういう規制はいつしか付いて回るものになってしまったけど、まさかサッカーW杯でも巻き起こるとは、意見は色々なグラデーションで存在して良いし、その声の数だけ活性化する。口汚い言い方をすれば、どの分野においても、馬鹿者・よそ者・若者が内輪を壊して、新陳代謝が活発になるわけで、そういう引いた目でも観なくちゃいけないなと切に思う。

ネットニュースでは、日本対ポーランドの終盤の時間稼ぎについてコメントした芸能人SNSを叩いて炎上するイジメが流れた。彼らが誰かや何かを、誹謗中傷したり暴言を吐くなどしていたら、闘ったり弾圧したり糾弾する必要性は発生するだろう。

誰しも、持論とは異なる又は敵視したくなる意見に出くわした時には、気分は良くなくなったとしても、人の数だけ言論の数だけ、事故や対立めいたものは起こるものだし、その結果、目指すべき方向が露わに表出するはずだから、恐らく良くて前向きなものになるから、冷静にボーッと考えることで、この人は何を言わんとしているのか、に注意を払えると単なる水掛け論や意見に否定には走らないだろう。

評論家や元々その世界で戦っていた人たちの意見は、筋もあってマトモにも見えるけど、100%正解とも限らないし、素人や疎遠な人たちの意見が的外れとも限らない訳で、正しい言い合いや健全な議論の価値は廃れることは無いから。

それに、何かをいつも口にしたり言葉にするときに、自分でそこまで検閲もしない訳で(角の立つ意見や注意指摘、批判非難とは異なり)、もっとシンプルに言うことと他人の意見を聞くこと、この二つを課していって、詰るべきものは何かを見極めたい。無差別に、或いはある意味差別的に、向こう見ずで無謀な、且つ、激しい非難や中傷はくれぐれもしない様に自分自身を律しないといけない。

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