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うつ株式会社#10 秋葉さんの涙声

「花粉症ですか?大丈夫?」

秋葉さんの優しさに包まれたハスキーボイスでの質問

さすがに、寝惚けてしまってのトラブルを隠すためとは言えず
「今日からデビューしちゃったみたいで、すみません。」

秋葉さん「私も去年ぐらいからなんですよ。私は杉花粉じゃなくてブタクサなので、ちょっと季節ズレるんですよ

あ。。市川さん、もう話しちゃったんですね。手元の資料盗みみちゃいました。

って、四月になったら話すって宣言されていたっけ。もう四月二日ですもんね。

って、ことは正社員ですね!おめでとうございます。ニュースでは、平成最後の四月って書いてあったのに、なんか自分事じゃない感じで、忘れちゃってました。」

むむむ、なんか落ち着かない感じ大丈夫かな?
同調することを意識しながら、特に相手の会話のスピードや声のトーン等の相手のペースをあわせる、ペーシングという技術を気を付けながら、少し落ち着けるように会話のリズムをゆっくりにする。

研修中に、録音して、聴いてはやり直して、録音してと繰り返してきた技術。
まだまだ先輩方のように無意識で実施ができたり、「はー、ひぇー、ふーん、へぇー、ほぉー」という同意だけで会話を引き出す「はひふへほ」の同意技術や「七色のイエス」と言われるイエスだけで、何通りもの意味を作り出して会話を構成する技術などはできないが、その代わり二年以上一緒に付き合ってきたラポールという信頼関係が自分たちにはある。
うつ株式会社の治ってきた患者さんの人材紹介や業務委託を受注する江戸部門起業当時、この会話の技術が一番大切にされていたということだ。この会話技術のお陰で、進捗状況や無理していないか?等を知ることが出来て、類似企業との差別化になり、患者団体からの信頼が得られたとのことだ。この分、他社の人材紹介業や派遣業、業務委託より社員の教育コストがかかってしまうために、会社全体の利益部門ではあるが、無理な拡張はしないとしている。が、弊社の認知度もあがってきていることから、人手不足部門だ。って寝過ごした自分が言うことではないが。。

「ありがとうございます。

そうですね。

私も新人なのに言っちゃいけないと思いますが、自分事じゃない感じで。。

変化があるような、ないような感覚です。

インターンからやっていましたからね

秋葉さんはいかがですか?」

秋葉さん「訪問看護ステーション、診療報酬改訂今年はないから、仕事としては、落ち着いているんですが、さっき四月のこと話したじゃないですか、三月末がちょっとアニバーサリーうつというか、調子崩しちゃって。。」

アニバーサリーうつというのは、耳にするとお祝い事が苦手でうつになったのか、よく分からない単語であるが、ある記念日や、何かの出来事があった日付を忘れられなくて、その日がくると調子を崩してしまう症状のことを言う。秋葉さんは、十二月末に診断されて緊急入院になった。患者さんに緊急があると対応しなければならない訪問看護ステーションでは、年末でもお休みではなく24時間365日営業である。しかし、一応、安定している患者さんをお休みにして、休めない末期ガン患者さんだけや、緊急コール体制だけにして全員じゃなくてもなるべく休む体制を作っていた。特に実家の介護のために実家に帰ったら訪問看護ステーションがない地域になってしまっていることに危機感をもって訪問看護ステーションを立ち上げた秋葉さんは、帰省しなければいけないスタッフの休みなどを優先的にとらせて、地域だと年末に親戚業務で忙しい女性看護師のために、なるべく自分一人で対応しようとしていた。そのように一人で背負い込むタイプだったので、オーバーワークでうつ病になってしまったのだが、そのうつ病による緊急入院だったのでスタッフは混乱し不平不満が生まれた。また、秋葉さんの右腕だった梅倉が、うつ病のことをよく知らない地域で、創設者の看護師さんがうつ病になったことはスタッフにたいしても隠した方がいいということで、スタッフにも説明があまりなされていなかった。最初1ヶ月といわれていた緊急入院も、結果的に三ヶ月間、診療報酬期間としては最長になり、三月に退院をして自宅療養が必要なのに、自宅から近いからと一度顔を出すと訪問看護ステーションに出掛けたのが、ちょうど診療報酬改訂の準備で現場が混乱しているタイミング、年末からの不満が溜まっていたところだったので約十名のスタッフから質問のふりをした攻撃的な会話をさせられ、どう回答しても、分かっていないと切り捨てられ、会話が出来なくなった。言葉がどもって出なくなると、勝ち誇ったようにそこに黙っていられると困るんですけど、という止めの言葉を刺されていた。過呼吸状況にもなっていたので、一人のマッスル系男性看護師が抱き抱えて自宅搬送されていた。それが三月末、一年間自宅療養していたが、自宅近くでのことで、訪問看護ステーションの姿をみたり、きいたりすると悪化することから、実家を売り払い東京に戻ってきた。そして、その辛い日から一年後に訪問看護ステーションを売却した。売った日も3月。そして、売ったあとに金の亡者と攻める看護業界の人もいて調子を崩したのも3月末。そして、実家を売ったことでもトラブルが生じていた。そのため、去年も三月末は調子が悪かった。
仕事としては、訪問看護ステーションがない地域で、しっかりと訪問看護ステーションを最初から立ち上げて、他の方へ経営権を引き継いだこと等が評価が高く、訪問看護ステーションの経営コンサルタントとして教科書執筆依頼から、実は大学の教員としてのオファーがきているぐらいだ。
しかし、三月末はやはり辛いようだ。次の言葉にいいあぐねていると

秋葉さんが涙声になりながら

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