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Outer Rim

久しぶりにnote書く気がする。いや、書こうとはずっと思っていたのだけれど、なんとなく筆が向かないというか、いろいろ忙しくしていたのかな。

いくら夢中になっていることや、やらなければいけないことがあるとしても、時間を取ってこうやって自分と向き合ってアウトプットすることを怠ってはいけないと思うんだ。仮に時間を買い取らなければいけないとしても、ね。

当たり前のことなんだけれどちょっと気付けていなかったなってことがあって、まあいつものことなんだけどちょっとオーバーシンキングしていたよね。シビアなこととか思い悩むと、どうしても目の前の問題しか見えなくなって被害妄想が増大してしまう。

だけれど、天変地異みたいなもの、特にこのコロナ禍ってやつは世界中にほぼ平等に降りかかっているわけで、当然自身ではアンコントローラブルだし自分だけが損してるわけでもないんだよね。

先日SUPERBEAVERの配信ライブを見ていたら、渋谷龍太さんが「2020年という年はまあ最悪の年で、これは変えられない事実ですよ。でもあの2020年を経た自分が今後どうなるか、それを変えることはできる。」とそう言ってたんだよね。恥ずかしながらハッとさせられた。そうだよな、この災厄ってのは自分だけに降りかかっているわけではないんだよな。って。

物事の外縁のようなものだけを見ていると、どうしてもいろんなことを近視眼的に見てしまうけれど、もう少し大局的であるというか、俯瞰して見た場合に与えられたカードについて悲観するのはやめようってふと思い出したりした。というか、そんなものに自分の人生のピースを埋められてどうするんだ。とも思った。

とはいえ、どうにもならないことは多い。どうにもならないことで悩むし、どうにもならない人の意見に振り回されたり悩んだりもする。それはもうどうしようもないものだと思うしだからこそ人間臭くもいられると思う。

こと現状のように他者との関わり方が希薄になると、どうしたってその密度が濃くなるというか一つ一つの現象にセンシティブになりがちだなあって思ったりもする。コロナ疲れだとかzoom疲れみたいなものはそういうとこに起因している気もする。下手な鉄砲でも場数を踏むのは大切なことなのかもしれない。だけれど、逆にそういう一つ一つの邂逅を、すごく尊く感じるようになった出来事でもあると思う。対面して人と会って得られる情報ってのは本当に多いのだなと。

かくいう自分も、こういうことを書いているとどんどん辛くなってくる。こうして身を削って生きているんだって、誰かに知って欲しいような、知って欲しくないような。そういうアンビバレンスを深海の底に沈めて、「沈むように溶けていくように。」一人ぼっちの闇夜が広がるよ。自分の理想だけが浮遊するような世界だけで生きていけたらいいのに。なんてペシミスティックのようなファンタジーのような話、これ歌にならないかなあ。曲書いてみるか。

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