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Kicked out this world

ここ最近、漠然と感じていた不安というか苛立ちのようなものについて、なんとなく自分の中で因数分解できた気がしたので書いてみる。

コロナ禍に入って、いろんなものが止まって、もちろん物理的だったりフィジカルな部分での生活の変化がたくさん影響しているのはいうまでもないんだけれど、それ以外の部分というか、これからの見通しだったり生きていくベクトルみたいなものを少しずつ修正していかなきゃいけない時期になってきているのかな?と暗に感じていた部分で多分にストレスを感じていたように思うのね。

何度も書いているけれど、それは友達と会って遊んだりできないことだとか、飲み歩いたり、好きな場所に遊びに行ったり、海外に飛んでみたり、或いは恋愛をしてみたり、というようなことが止まってしまった。とそんな風に思うことが多々あった。

でも、そういうのってこれまでだって自分が手の内に持っているカードでなんとかやってきたじゃんって部分で、例えばまあ2か月程度だったけれど僕は6畳の病室しか知らない生活を送ったりもしたし、あまつさえ歩くことすらままならないその時期に色々な学びもあったよな。と。

で、漠然とこう「コロナ禍」というレンズの先に見えている虚像のようなものに怯えて生きてきてしまったせいで、何が辛いのか?何が嫌なのか?がよくわかんなくなってたと思うんだ。

状況が悪いとか環境が悪いのを変えられないのは分かっていても、自分が立ち回れないことに苛立ちを覚えていたんだけれど、本当に立ち向かうべき敵はそこじゃないはずだよな。ってしばらく考えててふと気付いて。ひとつひとつ状況を見てみるってのが大事だなって気付いたのね。そうすると、状況がどうにもならないことが嫌だったはずが、他所の誰かのありもしない虚像に対して焦燥感を感じたりするっていう訳のわからない被害妄想だったりするんだよね。起こりもしない将来を悲観するのはもうやめにしよう。というか、2年後に笑っている将来もそこには可能性としてあるのだから、そこを見るべきだ。と思い直したんだよね。そんなの楽観的だなあって心のどこかでは思っているけれど。

でも、他所の誰かが僕の知らないところで僕を貶めようと立ち回っているとしても、それは自分には引ききれないカードかもしれない。少なくとも自分で引けるカードは全部根回しして潰していってるはずなんだ。そこまでやったらもうあとはどうにもならないよ。所詮はおまえの実力がそこまでなんだよ。そういうふうに考え直したんだよね。そうすると、ああ自分の状況でなんとかなっていることや幸せなことはたくさんあるってことにようやく立ち返ることができた。長い旅だったしこれも当座の納得に過ぎないのかもしれないけれど、そうやってある程度「状況に流されていく」ことこそがうまく生きるコツだったなあ。なんて、なんとなく思ったりしてね。

そうすると、世の中のスタンダードだとか、何歳になったら趣味を落ち着けて大人にならないといけないだとか、結婚して身を固めなきゃいけないとか、そんなことはあんまり自分の人生において重要なことじゃないなあ。って思えてきた。そもそもそうやってマイノリティに走って生きてきたんじゃないか。って。

だけど、それは思考を止めるってこととは違って、こう自分の人生の時間軸の中でいまどこにいるんだろうっていう視点は大事かなあって思ってる。だから、野放図にその日暮らしすればいいとかそういう風に思う訳じゃないんだけどね。その時間軸を誰かの物差しと比較する必要はないんだよなあっていうことを、改めて考えたというか。

そういうことを、自信を持って表明して生きていけたらいいなあと思う。もちろん、年相応に考えなければいけない問題もたくさんあるのだけれど、うまく向き合いながらというか、諦めないようにしながらやっていきたいなあ。そんな風に思ったね。まだまだ負けてられない。こんなクソッタレみたいな世の中に放り出されて、本当は大人になんかなりたくなかったのかもしれないけれど。それでも、明日も全力で大人らしく生きてみせるさ。

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