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Middle of Nowhere

細美さんの歌詞を見ながら「そうだよなあ」って思うことをきっと共有できる人はいると思うのだけれど、そんなことも誰かと共有すること自体がおこがましいんじゃないかっていうくらい世の中に対して申し訳ない気持ちというか、自分なんか価値がないのだろうなって思うことが年に何回かある。

焦燥感と後悔。みたいな話を友人としたけれど、日々の行動そのもので焦燥感に駆られるというよりは、漠然とした10年後の将来みたいなものを見て焦るということがある。

きっとそこには仕事や、自分のやりたいことや、家族設計みたいのものも当然含まれてくるんだろうなと思ったりもする。別に今と何も変わらなくても死ぬわけじゃないと思うんだけれど、今と変わらない生活を続ける自分にもはや個人としての価値があるのだろうか?そんな風に考えてしまう。対外的に、というよりは、自己評価的に。

かといって、そんなことを誰にでも話せるほど僕は人間ができていない。というか、多分誰もそんな話に付き合ってくれないという不信がすごい。第一ほとんど人を信頼していない。自分の悩みなんか所詮は他人にとっては他人事だという気持ちが強い。そんなものを恋愛だの友情だのという不確実なもので埋め合わせられようもないと自分自身で決め付けてしまっている。

いや、そんなものをひっくり返すようなドラスティックな恋愛だとか友情みたいなものがあれば、とどこかで願う自分はいるよ。でもそんなことは現実には起きない。アニメやドラマみたいにはいかないのだとわかっている。

昨日の友は今日の敵などとはよく言ったもので、例えば誰がいつ敵になるのかもわからないのだ。こればかりは感情と環境とタイミングと、もう一つ言えば相対的地位みたいなものも絡んでくるから。そんな不安定な状況の中で本当に味方に付けるべき友を探すというのはなかなか難しいもんだよね。

そんな中で、高みを目指そうと思う自分と、もう疲れてしまったなと思う自分が日々葛藤していたりする。養うべき家族がいない分責任感が無いというのも事実なのかもしれない。

安定の対義語が挑戦であるならば、獲得の対義語は損失だろうか。何かを得損なうということは、時に人生において大きな分岐点となったりする。どちらに転んでもいい人生に転がった、みたいな帰納的性善論みたいなものは僕は嫌いだ。そんなものが肯定されるのならば過程こそ全てであって結果が意味を持たなくなってしまう。ある程度はそれで納得しなけりゃいけない物事もあるだろうけれど、損失を損失と理解できないのは愚かな人間の考えだとも思う。

そういう、過信でも妥協でもないどこかバランスのいいところ、みたいなのを探すのが生まれてこのかた下手くそだなあと自分で思うわけね。

いかにもロジカルにいろんなことを語っているふりをして、実は嫉妬とか羨望みたいなものが渦を巻いている。自分に自信がないから気がつけば思いの中がそんなもので埋まっている。そういう自分がなおさら嫌いになる。自分をこれ以上嫌うのはやめたつもりだったんだけれど。

まずは日一日、与えられた命を全うできたことに感謝できる、そんな穏やかな大人になれたらいいのだけれど。みんなタフに生きているよなあ。

Day by day.
Things are all messed up.
All we need is cakes and ale and everlasting laugh.

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