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人生で何度もない断ったらいけない仕事――地方在住ライターが上京するまで

全部やれ。』ができるまで(2)

「日本テレビについて書いて欲しいんです」
そう言われて日本テレビのバラエティが「苦手」な僕が不安になっているところに追い打ちをかけるように編集者は続ける。
「新境地を開いてみませんか?」
「新境地?」
「そうです。当事者である日テレのクリエイターに直接取材したノンフィクションを書いてみませんか?」

僕はこれまで6冊の単著を出版してきたが、いずれも「直接当事者に話を聞く」という意味での取材は行ってきませんでした。
その代わりに書籍や雑誌はもちろん、テレビ、ラジオ等で発言した膨大な“証言”——つまり既に一般の視聴者でも手に入る証言だけを元に書いてきました。
それが「テレビ」を題材に書くときの適切な距離感だと思ったから。
と、言うのが一番大きな理由であることは間違いないけど、取材に対する苦手意識もやっぱりあった。
前回書いたとおり、僕は元々、普通の会社員ブロガー。
テレビ関係者、ましてやタレントに取材できる立場ではなかった。
だから、ブログではテレビやラジオの発言を引用するという手法を使ったのです。
それしかなかったから。

都合のいい言い訳

ライターとなっても、その延長だった。
「インタビューしてみませんか?」
という依頼もあったが、しばらく断り続けていました。
「いわき市に住んでいるから」などと理由をつけていたが、正直なところ怖かったのです。
もちろん「取材をしない、あくまでもイチ視聴者の視線のライター」という結果的にせよ得ることとなった特殊な立場を崩すのも、自分の数少ない特異性を失うようで怖かったけど、何よりも絶望的なコミュニケーション能力のなさで人間関係落ちこぼれだった僕が、まともな取材ができるとは思えなかった。

だから、「いわき在住」というのは僕にとって言い訳のできる都合のいい装置でした。
一方で足かせになっているのも事実。やはり出版界は東京中心。いまやメール等のやり取りで仕事は完了できるとはいえ、ライターに仕事を任せるとなれば、極力直接会って打ち合せをするほうがいいと考えるのは無理はない。だから、どうしても依頼は限られてしまう。
僕はそのままいわきで書き続けるか、東京に出てくるか迷っていました。
いわきで書いていても先細りしてしまうのではないか。
けれど、東京に行けばやりたくない仕事や自信がない仕事もやらなくてはならなくなってしまうかもしれない。
その一歩が踏み出せないでいた。

インタビュー童貞を捧げる

そんな2015年6月。『TV Bros.』からとある依頼が舞い込んできました。
それはなんと「星野源の巻頭インタビュー」!
星野源さんは、当時はまだ『逃げ恥』で“国民的”ブレイクを果たす前。しかしながら、僕にとってはずーーっと大好きで見てきた特別な存在でした。
「なんで俺が?」「俺でいいの?」と頭の中がグルグル回転していました。
けれど、依頼のあった日程は普段予定などない僕には珍しく「その時間、飛行機に乗っている」という完全なる予定が入っていました。
福岡のイベントに呼んでもらったため、余裕を持って1日早く行くつもりだったのです。
インタビューへの苦手意識、自分のスタンス、日程上の問題……と断る言い訳は揃っていました。

しかし、詳細を聞くにつれ、これは断ったら絶対に後々後悔する、人生で何度もない断ったらいけない仕事だ!
などと大袈裟にも思い抱くようになりました。
そんなわけで予約していた飛行機をキャンセル、便を変更してお引き受けすることにしました。
僕のインタビュアー童貞を捧げるのに星野源さんはこれ以上ない相手だと思ったのです。

そしてインタビュー取材当日。
取材場所に入ってきた星野さんにご挨拶を交わすと、静かに微笑み返してくれた。
その表情に一瞬で引き込まれてしまう。
緊張&はじめての経験&そもそも苦手ってことで辿々しく質問する僕にも、星野さんは丁寧に答えてくれました。
それどころか、こちらの質問の意図を先回りしたかのように、ここ突っ込んで訊かなきゃなって思っていた質問をする前に、その答えを語ってくれたりもした。
お陰で自分でもいい記事になったと思う。
昔からのファンの方にも良かったと言ってもらえた。

【編集後記】にはこんな風に書きました。

今回の取材で、星野さんは「後世伝説になる番組を第1回目からたまたま見ちゃうっていう癖がある」と笑うように、『笑う犬の生活』や『ギルガメッシュないと』、『バミリオン・プレジャー・ナイト』などの初回放送を見てきたそうだ。初物に遭遇するという稀有な“才能”を持っているのです。
ちなみに僕も(大半の方にとっては誰だよ、って感じでしょうが)インタビュー取材をするのが初めて。
果たして自分に務まるのだろうかと緊張して、辿々しい質問をする僕に対し、星野さんは優しく手解きをするかのように質問の意図の先を読みながら丁寧に答えてくれた。とてもありがたい言葉までいただき天にも昇る気持ちに。ピロートークも完璧だったのです。もうメロメロ。まさにヴァージン・キラー!

そして、この星野源さんとの仕事を通して僕は決心がついた。
「震災のせい」にして会社を辞めて専業フリーライターになった僕は、今度はいわば「星野源のせい」にして上京することに決めた。
新しい扉を開いたのだ。
その年の暮れ、僕は上京。
インタビュー仕事もやるようになった。
それからは、いわきに住んでいたときにはやれなかった仕事をたくさんいただいた。

そして、この『週刊文春』からの「日本テレビについて当事者たちを取材して書く」というのは、まさに「いわきに住んでいた時はやれなかった仕事」の中でももっとも大きな仕事の中のひとつだ。
しかも、1回5ページで10回分くらいの短期集中連載だという。
週刊ペースでその文量の連載は経験したことがない。
不安でいっぱいだった。
けれど、あの時の思いがまた甦った。
これは断ったら絶対に後々後悔する、人生で何度もない断ったらいけない仕事だ!
「人生で何度もない」がたった1年半後にまた来ちゃったよなんて思いながら「やってみたいです」と答えた。
また新しい扉を開けるんじゃないか、と。

ちなみに上京から約1年後に星野源さんとは『YELLOW MAGAZINE 2016−2017』での星野源×関根勤&小堺一機鼎談の司会・構成担当として再会(この時は『逃げ恥』放送&撮影の真っ只中!)。
上京後1年の締めくくりに、その上京を決心させてくれた星野源さんとの仕事。これ以上嬉しく感慨深いものはありませんでした。
(なお、『YELLOW MAGAZINE 2017−2018』では寺坂直毅×山岸聖太対談の司会・構成、『おげんさんといっしょ』のコラムを書いてます)

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