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朝岡秀樹チルドレン

恥ずかしながら、10月14日にラジオ日本で放送された『真夜中のハーリー&レイス』にゲスト出演しました。プロレス・格闘技の話をただただするという楽しいひと時でした(リスナーの方にはどうだったか分かりませんが)。
あと「延長戦」としてポッドキャストが配信されてます。
http://blog.jorf.co.jp/bijuuradio/2018/10/1014-vs-7e9d.html

この番組で言ったとおり、僕のプロレスとの出会いは獣神サンダー・ライガー(当時は獣神ライガー)でした。実はもっと正確にいうと幼い頃のおぼろげな記憶として極悪同盟全盛の頃の全女も見ていたと思いますが(ほとんど玩具類を買ってもらえなかったけど、セガで出たゲームを珍しく買ってもらったことが記憶に残ってます)。
ライガーを中心とした新日のジュニア戦線から、グレート・ムタからWWF(現・WWE)、そして『リングの魂』での「第1回UFC(当時は「アルティメット大会」って言ってましたが)特集」からパンクラス、修斗などの総合格闘技へと僕の興味は移っていくわけですが、パンクラスにライガーが参戦した時は、繋がった!と感慨深かったです。
で、プロのライターになって、ライガーさんにインタビューできたのは本当に嬉しかったです。
 (前編) http://bunshun.jp/articles/-/2963
 (中編) http://bunshun.jp/articles/-/2964
 (後編) http://bunshun.jp/articles/-/2965

ちなみに僕は一瞬だけ「烏合」というハンドルネームを使っていました。僕のツイッターのアカウントが「u5u」なのはその名残です(その後、SNSなどで「スキマさん」などと呼ばれているなあと思って、そっちのほうがわかりやすいと思ってブログ名をそのままペンネームにしました)。
で、その「烏合」という名前は大好きだった格闘技のチーム「烏合会」(矢野卓見や藤原正人ら骨法出身の選手たちのチーム(修斗参戦時は「ワイルドフェニックス」に名前が変わる)から採ったものでした。なんか響きが好きだったので。

地方に住んでいる頃は、プロレス・格闘技好きというよりは、プロレス・格闘技「雑誌」好きで、『別冊宝島』の「プロレス読本」シリーズとかを含め、「記事に書かれたプロレス・格闘技」が好きでした。特に「ノーフェイク」朝岡秀樹編集長時代の『格闘技通信』は大好きで、自分は勝手に「朝岡秀樹チルドレン」だと思っています。

関係あるかどうかわからない複数の事実や事柄、レスラーの発言などを関連付け繋げていくことで、それぞれの心情が浮かび上がり“物語”ができていくそれらの記事に胸をときめかしました。僕の書くものはこの手法に大きく影響を受けています。
当事者への直接取材を一切しないで書いた『1989年のテレビっ子』は、ノンフィクションとして認められないという意見もあって、自分の中では、反論することもできるんですけど、それよりも僕は、これは「活字テレビ」というものなのだと言いたいと思って書いていました。
たとえば、この本の中でも、本当かな?っていう逸話とかエピソードが出てくるんですが、本当にそれがあったのか、裏を取るっていうのが本来のノンフィクションの手法です。
けれど僕は、そういう逸話を本人が語ったという事実を重視する。
それは表現者本人が、事実をそう捉えているっていうことなので(もちろん裏取りしないという意味ではないです。単純な事実誤認もあるので)。
それはプロレスでも同じ。本当の事実かどうかは別にしてレスラーが表に出している表現に注視して、“ウソ”をロマンや幻想に変換して、その現象を捉えていくようなやり方が、プロレス的な現実へのアプローチだと思っていて、それはテレビ的なノンフィクションの書き方に応用できるんじゃないかと思ってます。“ウソ”の中にこそ真実があるんじゃないか、と。
(もちろん題材や書きたい内容によっては『全部やれ。』のように正攻法?なノンフィクションの手法のほうが適している場合も少なくないと思いますが) 

五味がペンを拾う

プロレス・格闘技はリング上で如実に“人間”が出ます。
思えばテレビもそうです。隠そうとして取り繕っても、テレビの画面からは、“人間”が嫌という程出てしまいます。
そういう共通点が、僕がプロレス・格闘技とテレビを好きな理由かもしれません。

で、ラジオ出演にあたりプロレスや格闘技の思い出とかを思い出してたんですけど、ボクシングにかぶれていた頃の國奥麒樹真の風貌が好きだったなあとか、「CONTENDERS」のチケットと一緒についてたTシャツどこ行ったかなぁとかどうでもいいことを色々思い出します。
そんな中でもなぜか鮮明に記憶に残っているのは、「五味がペンを拾う」シーン。
それはまだ五味隆典がデビュー間もない頃の話。
当時まだクラスBだった彼は、確か当初予定された選手の負傷欠場かなにかで、クラスAのランカー桑原“マッスル”卓也と3戦目にして対戦するという大抜擢を受けました。
当時、桑原は修斗の中でも「地味強」の代表格。お互いにレスリング+パウンドというタイプなだけに静かな試合展開が予想されていました(デビュー当時の五味はのちに「KOじゃなきゃ!」と“スカ勝ち”にこだわる選手になるとは想像ができないタイプ。実際、修斗時代は15勝のうち10勝が判定)。
が、蓋を開ければ打撃の乱打戦。そして最初に倒れたのは五味でした。
その時です。
ダウンカウントを数える小方レフェリー(修斗の厳格さを象徴するレフェリー)のジャッジペーパー記載用ボールペンが胸ポケットから落ちました。すると五味は何事もなかったように立ち上がりそのペンを拾って、小方に渡そうとします。小方はそれを受け取らず、まずファイティングポーズをとるように促したのです。なおも渡そうとする五味……。
緊迫した状況で、ちょっと滑稽なそのやりとりがやけに印象に残っています。
「余裕のない状況をさも余裕のあるような行為をすることで、余計に余裕のなさを露呈する」ような場面を見ると、あ、あの時の五味くんみたいだって事あるごとに思い出す場面です。
そんなどうでもいい記憶。


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