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トラウマを自作自演する

唐突ですが、僕は幼い頃の記憶がほとんどありません。
といって、普通、どれくらい記憶があるものかはよくわからないのですが。
僕が憶えている幼いとき(幼稚園くらいまで)の記憶は、片手で数えられるほど。
嘘です。盛りました。
本当は、もっと少なくて、2個か3個。
近所に住んでいた同年代の親戚とバドミントン的なことをしているのと、
入院したときに、父親から超合金のおもちゃをもらって喜んでいる記憶くらい。
それも結構おぼろげ。
その入院の原因も三輪車でドブに落ちて怪我したみたいなことを聞いた気はするけど、まったく覚えていない。

なので、僕の記憶は唐突に小学校3年くらいから始まります。
そしてその少し後から、暗黒時代に突入していきます。
運動はからっきしダメで、勉強も平均いくかいかないか。何より対人関係が苦手。
特に人間関係は、小学校高学年の時、軽いイジメにあったので、その後、自己肯定感が希薄になり一層、苦手になりました。
(よくイジメられる経験をした人は精神的に強くなるから通過儀礼のようなものだ、みたいなことを言う人がいますが、あれは、間違いだと思います。少なくても僕の場合。
なぜならその時、我慢すれば終わるものではなく、僕が自己肯定感が損なわれたように、その後の人格形成に大きく影響するから)
結果、僕なんかに話しかけられたら相手に迷惑なんじゃないか、みたいに考えるようになっちゃってました(これは結構今でも思う)。
なので、当然、恋愛などという甘酸っぱい青春の思い出は皆無。

で、そんなありふれた暗黒時代のエピソードを語ってもしょうがないので割愛しますが、そんなダメな人生をすごしていると、どうして自分はこんなふうになってしまったんだと理由がほしくなってしまうもの。
それを学校のせいにして非行に走ったりも、
それを社会のせいにして犯罪に走ったりも、
何もかも嫌になって自殺してしまったりも、
僕にはそんな勇気がなくてできませんでした。

サイコパスの特徴

話は飛びますが、当時、サイコサスペンス的なものが流行しました。
『ツイン・ピークス』だとか『羊たちの沈黙』、 『24人のビリー・ミリガン』とか。
日本のドラマでいえば『沙粧妙子』とか、三上博史が多重人格を演じた『あなただけ見えない』とか。
で、僕はそういうのに惹かれて関連の書籍も読み漁りました。
(「地下クイズ」とかを好きなのはこの名残りです)
特に好きだったのはデアゴスティーニの『週刊マーダーケースブック』。
これは、毎号、いわゆる連続殺人犯を特集したものですが
そういうのを読んでいると、多くの殺人犯にみられる特徴があることに気づきました。

それは、幼い頃の記憶がほとんどないということ。
どういうことか?
ざっくり言うと、幼い頃、親などに虐待を受ける。すると、脳が拒否し記憶を残さない。
脳がそのツラい事実をなかったことにするんです。
それが究極まで行くと、脳が別人格を作ることで自己防衛して別の人格をつくる、つまり多重人格——解離性同一性障害になってしまうわけですが
そういったことで、幼児期の人格形成がうまくいかなかった人が
連続殺人犯に多いのだと(もちろん虐待を受けた人がみんなそうなるわけではありません。念の為)。

で、「あ!」と学生時代のバカな僕は思うわけです。
俺も幼い頃の記憶がない。
俺も親から虐待を受けていたんじゃないか、と。
短絡的!
もちろん、そんな事実はありません。記憶がないのはただボーッとしていて記憶力がないだけ。

だけど、当時の、何もかも上手く行っていない落ちこぼれた状態の理由付けとして
憶えてないだけで実は虐待を受けていた説」は、結構有効でした。
だから一時期は、結構本気でそう思っていました。
つまり、トラウマを想像で創造してしまったのです。
そんな“自作自演のトラウマ”は、「それなら仕方ないじゃないか」というある種の癒やしになりました。
あと、思春期特有の「特別感」や「悲劇のヒロイン的願望」も満たしてくれました。
けれど、それは諸刃の刃。
ただでさえ内向的な性格は、より深刻になり、どんどん内にこもっていきました。
この勝手につくりあげたトラウマを克服するのは、思った以上に厄介でした。
本当に人間として、落ちこぼれ。
今思えば、犯罪とか自殺とかに行かなかったのが不幸中の幸いです。

全部やれ。』ができるまで(4)

と、このままでは『全部やれ。』とまったく関係ない余談のまま終わってしまう(といいつつ「note」に書いてるの大体余談だけど)。
なので無理やり関連づけると、『全部やれ。』には仮タイトルがありました。
それは
落ちこぼれの特権』。
最終的には、ギリギリまで編集部の人たちと悩んで現在の『全部やれ。 日本テレビ えげつない勝ち方』という本書の内容にぴったりくるタイトルを思いついたんですが。

で、なんでそんな仮タイトルを付けていたかというと、本書に登場する人たちが、テレビマンとしてみんな「落ちこぼれ」意識があったから。
そもそも「日本テレビ」自体がそうでした。
日本初の民放テレビ局として黄金時代も経験していましたが、80年代は低迷。
民放3位が定位置。ときには最下位がすぐ側ということも。
要因は様々ですが、組織として落ちこぼれだった。
たとえば『電波少年』シリーズの土屋敏男さんは、失敗続きのため一時は制作者として失格の烙印を押された。
『クイズ世界はSHOW by ショーバイ!!』の小杉善信さんは、「番組を始めるとすぐつぶれる」と有名だった。
『マジカル頭脳パワー!!』の渡辺弘さんも、『スーパーJOCKEY』立ち上げの頃には、ビートたけしから、このままこの番組を続けていれば、自分がそれまで築いてきたものが崩れてしまうから「やめたい」とまで言われた。
『SHOW by ショーバイ!!』『マジカル』の五味一男も、とあるデータを見て、自分のこれまでの全人生を否定されるような経験をした。
社長である氏家齊一郎も、一時は日テレを“追放”される。経営者として落ちこぼれでした。

「テレビ関係者が集まるパーティに行くと、フジテレビの人たちが一番いい中央の席に自然と座っているんです。これに何の疑問も感じなかった自分に気づいた時に、悔しくて、情けなくて……」(小杉)

そんな落ちこぼれ集団が、いかに強大な敵であるフジテレビに立ち向かい、勝利したかを描いたのが本書です。

「逆襲」とは、敗れざりし者たちだけに許された特権である

そんなわけで『全部やれ。 日本テレビ えげつない勝ち方』好評発売中です!


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