奨学金もらってよかったなって話

こんばんは。虹世です。

大学生ももうすぐ終わりです。
そんな今、「大学生で、やってよかったなってことなんですか?」という質問をされることがあれば、
恐らく私は部活の次に「奨学金を受給したこと」と答えると思います。

今回はそんなお話です。
(あくまで私の場合は、というものです。覚書として書いていますので、全ての奨学金に当てはまる訳ではありません。)


なぜ奨学金をもらったか

これは、まあ、ざっくり言うと母子家庭で兄弟が多いからです。
もう少し細かく書いてもいいのですが、そこにそれほどの意味はありません。
高校生の頃、学校に募集が来ていたものに応募し、選考を受け、採用されました。

どんな奨学金だったか

奨学金は大きく分けると、貸与型と給付型に分かれます。
返す必要があるか、もらっておしまいかです。
私が受けていたのは給付型の奨学金です。

また、奨学金をどこが出しているのかも色々あります。
JASSOとか、あとは都道府県や地方公共団体が出しているものもありますね。
私が受けていたのは民間団体のものです。
とある普通の会社(A株式会社)が事業で得た利益を回して公益財団法人(Aa会)を作って、そのAa会から奨学金を受けています。

また、募集の時期にも色々あります。
私のところは、高校三年生の夏~秋くらいに募集があり、学校を通じて応募し、面接を受け年内には採用内定が出て、大学合格・進学決定をもって正式に受給が決まります。でも、現役で進学が決まらなくても一浪までは内定を保持できるらしいです。
指定校型で、東京都内の特定の高校にしか募集が行かず、また、大学も「東京都内に本部を置く大学に進学すること」という条件がありました。

さらに、奨学金によっては大学卒業後、特定の職種に就くこと(その領域を志すこと)などを条件とする場合もあるみたいですが、私が受けているものはそういった制限はありません。都内限定も大学までで、就職先は都外です。

私が受けていたものは、大学一年生から原則として正規の最短修業年限までで、学部卒業後、修士、博士に進む場合は基本的には延長して受給することができる一方、留学などによって卒業が伸びる場合は打ち切りになるみたいです。
これもものによっては学部に関わらず(医学部とかでも)四年間だけしか受給できないもの、また入学後にも募集があり、二年生三年生からでも受給できるものなどもあり、様々です。

どんな選考があったか

高校経由での応募なので、まず高校の先生に応募したいと告げて、必要書類を提出します。
確か両親の収入を証明するもの、母子家庭であることを示すもの、家庭状況調書みたいなもの、あとは志望作文でした。成績証明書とか推薦書は高校から勝手に送られます。

書類審査を通ったら、面接です。秋か冬に呼ばれて、面接を受けました。今考えると超怖かったです。
雰囲気は、就職の最終面接くらいピリついてました。
それで、採用内定の連絡がきて、あとは大学に受かるだけです。それが大変なんですけどね。

倍率とかは全くの未知数です。
でも、大学や、高校が、一般的に「いいところ」の人ばかりかというと、そうでもないです。国立早慶だけ!とかではないです。

そんなに成績がよかったのか

そんなことないです(笑)

給付型の奨学金は、言ってしまえば「タダでお金を貰える制度」ですから、受給の条件に「学業成績が優秀で、将来性の高い」などという文言があることが殆どです。

ただ、学年に300人くらい生徒がいて、私の成績は、ざっくり上から200番くらいだったと思います。「ボリュームゾーンはここにいく」という大学には受かりませんでした。
たぶん、学校ごとに推薦できる人数が決まっていて、恐らく1人か多くても2人だったと思います。
私の通った高校は決してお嬢様学校ではありませんがそれなりに経済面には余裕のある家庭の子どもが多い印象はありましたので、競合はいなかったのだと思っています。
例えると、(年末年始や夏休みなどの期間限定を除き)アルバイトをしている生徒はクラスで私以外に一人もいませんでした。

そんなに貧乏なのか

これもあまりそんなことはないです。
冒頭に書いたように、母子家庭で、兄弟が多いというのは本当です。
しかし、父親とは没交渉ではありませんし、母親の両親は比較的裕福の部類です。

母親もフルタイムワーカーで、仕事としては「地方公務員」の部類です。
(厳密には公務員ではありませんので含みを持たせています。)
40代女性として、決して高くはない収入ですが、しかし安定はしています。

「貧乏だから奨学金を貰っているのか」という答えはノーです。幼いころから今まで、親は私に「貧しい」とは思わせないでいてくれました。

どれくらいもらっていたのか

これは流石に細かくは書けませんが、ざっくり言うと
「学費の半分よりはずっと多いよ」と母に言われていました。
本人名義の口座に振り込まれる奨学金を、毎月一定額母親にそのまま振り込み、学費の支払いそのものは母親にやってもらっていました。

具体的には〇万5000円が月額だったので、〇万を母に振込み、5000円はお小遣いにしていました。

大変だったことは

そこまではありませんが、何もなしにお金がもらえるなんて言う美味しい話ではないです。いや、十分に美味しいとは思っていますが、、、

毎年1回、レポートを提出するのと、さらに1回、報告会があるので、その2回は必須です。あと、入学年と卒業年はさらにもう1回集合がありました。
これは必ず参加しなければならず、もし欠席したら、別日に事務所に行って個別面談での報告が必要だったみたいです。私は皆勤したので知りませんが。

それ以外に、行事が年に4回くらいあります。これらは必須ではないですが、できれば参加した方がいいです。あと、参加した方がおいしいです。
部活が忙しくて、参加できたのは半分くらいでした。

何がそんなによかったのか

基本は人脈と経験です。

上に書いたように、年間5回くらいは集まる機会があるので、それなりには仲良くなります。なので、公式行事以外でも、飲み会をしたり、ドライブをしたりする友人が増えました。
友人、と書きましたが、私は何故か同期より先輩と仲良くしてもらっていたので、よく飲みにいくのは先輩ばかりで、それなりに可愛がってもらっていました。
また、先輩の中にも、学部4年で卒業して社会人になる人もいれば、例えば修士2年まで6年間在籍する人、博士3年まで在籍する人もいるので、学部4年の私、修士2年、社会人3年目、社会人5年目、博士3年の先輩見たいな組み合わせで出かけたり、、色々な人が色々なことをやっていて、話を聞いていて面白かったです。

こうやって、大学とも、バイト先とも、高校とも全く違う人脈が形成できたことは財産です。

次に、経験。
こんな言い方は申し訳ないけれど、基本はお金に余裕のある会社が運営している財団です。
色々なことをさせてもらいました。
コロナで中止や縮小が多かったけれど、本来なら毎年旅行があったみたいです。2回開催され、両方参加できました。あと、講演会や報告会はいつもホテルランチ付きで、それはそれは豪華なものでした。超、美味しかったです。

「なんてゲンキンなやつだ」とおもわれるかもしれませんが、「経済面で困難の有る学生に少しでも経験を」という財団の心遣いが嬉しくて、毎回、超満喫していました。

最後に

周囲の奨学生と話すと、「壮絶な経験をしている、その最中である」人もいれば、中には「全然貧乏には見えないけど」と思う節のある人もいました。
私も、どちらかと言えば後者なんだと思います。
でも、多少、他の人にはない、苦しい経験をして、22歳まで生きてきました。それをこのブログに書くことはありませんが、そんなこともありつつ、無事、社会人になろうとしています。

奨学金を貰っていることは恥ずかしいことなのか。
3年生くらいまでは、周囲の友人、部活の人やバイト先の人には言えませんでした。
でも、3年生辺りから、コロナの緩和もあり、楽しい行事が増えてきて、あとは部活も同時に忙しくなったので、財団の公式行事で部活を休む報告が必要になることが何度かあったんですよね。それでもう恥ずかしいことでもないか、と吹っ切れて隠さなくなりました。

奨学金を受けるために必要なのは、(両親の収入要件とかを除けば)リサーチ力とアピール力だと思います。
大変なことはあるけど、無駄なことはないので、是非。

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