見出し画像

少女は卒業しない

『屋上は青』

孝子はそれはそれは僕に似ていて、そして孝子はそれはそれは僕に似ておらず、カッコいい。
事あるごとに自分を尚輝と比べて、ひどく辛い気持ちになるようだが、孝子は「誰もやる人がいないから」という理由でちゃんと学級委員をしたり、吹奏楽部に入ったり、塾に行ったり、生徒会で副会長をしたり、僕には無い勇気をたくさん持っていて、それをまた僕が羨望する。

自分にはとれない選択肢をとって、自分のしたいことを続けるために努力することができて、自分を信じることができて、

とても羨ましくて羨ましくて妬ましくて、

こんな感情を毎日のように抱きます。おれの場合ね

しないんじゃなくて、できない。と、作中にもあったけど、その通りなんです。したいけど、やっぱり人の目が気になるし、できる人からしたら「なにが?したらええやん」てなるんかもしれへんけど....

それもその通りなんですよね、したらええねん。でも怖いやん、その一歩を踏み出すことの凄さを羨望してるねん。できひんねんそれが。

全部言い訳でしかなくて、目立つのが怖いし、失敗するのが怖いし、そんな自分が情けないし、中途半端な自分がもどかしいし、一歩を踏み出すって、本当に凄くて

最後の尚輝が泣きながらダンスをしているシーンで、尚輝のような人でも、「一歩を踏み出す」ということを簡単にしてるように見えて、そんなことなくて、怖くて怖くて仕方がなくて、たくさんたくさん悩んで、選択をして。と、しているんですね。だから強くて、カッコよくて、輝いて見えるのだと。

でも今のウジウジしてる自分が嫌いなわけじゃないです
そら惨めに思う時もあるけど。
私は、私が超えれるか超えれないか、ていう高さのハードルを少しずつ超えていて、尚輝のような人に比べたら、すっごく小さい変化かもしれへんけど、ちょっとずつ、成長しているはずなんです。

そう思わないと今までの自分が可哀想、ていう意味合いもあるけど、でもほんとに、人には人の速度があって、近くにあまりにも速い人がいたら、自分が情けなく思えるけど、人はどうしたって成長する人間ですしね。比べたらあかんのですよ、過去の自分と今の自分を比べるくらいにとどめとかなあかんのです。

までも僕は過去の自分と今の自分の差に酷く落ち込むこともあるので、それも適度にネ..
昨日の自分は自分じゃないので、何年か前の自分なんかほんまに赤の他人なんすよ。そんな赤の他人と自分比べたらあかんのです。ほな過去の自分てなに?てな。誰やろな、それ。

ダラダラ書いたけど、自分のペースで無理せず健康に、時々ドキドキしながら新しい挑戦して、都合良く過去の自分思い出して、都合の良い比較して、ま、小難しいことは考えずにですね、健康が1番なんですから。


孝子がぼくに似てるだとかちょっと自分を過大評価してる嘘ついたけど、いや羨ましくて羨ましくて妬ましい感情がね、似てると言う話ですよ。
人間みんな恨み妬み僻みの感情あるので、あんまりそれに惑わされずに、がむしゃらにね、頑張りましょう。て自分に言い聞かせてますけども。


いい話でした!それでは!
全て話が健康第一に帰着する女より

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?