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【書籍紹介】 施設虐待事件と「夜と霧」

最近、障害者施設での虐待事件が頻発し、親として不安が募ります。
将来、梅子さんが虐待被害を受けないかと心配になります。
私が亡くなった後、入所施設やGH(グループホーム)に入居してもらおうという考えが揺らいでしまいます。

このような時、私は療育センターの先生から紹介された「夜と霧」という本を思い出します。

この本から得た教訓は、「現在を最大限に生き、それを梅子さんの宝物とすること」です。

思い出は、梅子さんが縛られずに自由に、充実した生活を楽しむための貴重な財産だと思っています。

家族との思い出

「夜と霧」の動画の中(14:18あたり)の離れ離れになり、既に亡くなった奥様との出会いのシーンの中でも語られています。

私が妻と語った。
そして彼女が答えるのを聞き、彼女が笑うのを見た。
たとえその場にいなくとも
彼女の眼差しは今まさに登ろうとしている太陽よりも私を照らしてくれた。
その時、私は気づいたのだ。
愛こそが人間にとって最高のものだということを。
たとえこのように何一つ残っていなくても人間は愛する人の面影を心に宿すだけで救われるのだ。
この時、私は自分の妻が生きているかどうかも知らなかったし知る必要もなかった。
私が深い愛情を持って彼女の面影を見つめ続けた。
彼女はまだ生きているのか、それとももうこの世にいないのか。
そんな事実はもはや問題ではなかった。
たとえ愛する妻が亡くなったと分かっていても、それでも私は彼女の面影を見つめ続けていただろう。
何時間も凍った地面を掘り続けて監視兵に怒鳴られても私は彼女と言葉を交わした。
そしてそのために妻の存在を強く感じた。
彼女を抱きしめることができるのではないか。
手を伸ばせば触れることができるのではないか。
そんな感情が強く私を襲うたび思うのだった。
彼女はきっとそこにいる。
そこにいるのだ。

「夜と霧」の動画より

梅子さんが親元を離れ、入所施設に移る際、私と家族との共有した思い出が、彼女の精神的な支えとなることを望んでいます。
そのために、梅子さんにとって家族との過去の経験が肯定的なものであるように育てていく決意をしました。

過去は唯一運命に支配されない。
誰からも奪われない神聖な時間

By ルキウス・アンナエウス・セネカ

「悔いなき時間を生きよ」より

仮に、梅子さんが施設で困難な時期を経験しても、セネカの言葉のように素晴らしい過去の思い出が彼女を支えることでしょう。

"今、この瞬間を精一杯生きて梅子さんの中で良い思い出とすること"

これが肝要だと考えています。

期日がなかったこと

私らはいつまでこの収容所にいて、いつ解放されるのですか?
一体、いつになったら今まで通りの生活に戻れるのですか?
こうやって終わりの日が見えないこと、出口が見えないこと。
彼らは口を揃えてそう言っているのです。
さらに収容所という極端に活動が制限された環境の中で無限の時間を感じるのは並大抵ではない精神的ストレスであったと言います。
そんな中、もうすぐ戦争が終わるらしい、あと6週間で出られるらしいよと収束に関する見込みのいろいろな噂が収容所内に流れてはまた引き延ばされる…
これの繰り返しです。
こういった期待と幻滅の無限ループに置かれると人はいずれ心が壊れてしまう。
1944年のクリスマス、そして1945年の新年この間に未だかつてない大量の死亡者が出た。
強制収容所にいた医者によりと過酷な労働条件や悪化した栄養状態あるいは伝染病などで説明がつくものではなかった。
むしろその原因とは囚人たちがクリスマスや新年には、きっと状況も良くなって家に帰れるだろうと素朴な希望に身を寄せたからなのだ。
もうすぐクリスマスだというのに収容所から流れてくるニュースといえばいつも暗い話ばかりで明るい記事などいっさいなかった。
そうやって囚人たちは失望し落胆し、そして抵抗力を落としていったのだ。
凄まじい収容所生活において自分の内側にある抵抗力を落とすことはそのまま、命を落とすことにつながる。
だから自分たちの抵抗力が落ちないよう、どうにか気持ちだけは維持しなければならない。
そのためには、自分は何としてでも生き延びなければならないという人生の目的意識が必要だった。

「夜と霧」の動画より

重度の発達障害を抱える梅子さんのような方は、死や別れを理解することが難しいことがあります。
施設への入所後、家族の迎えを待ち続けることも考えられます。

実際、梅子さんの通っていた療育センターの先生の教科書に掲載されているNさん(添付資料 1青年期の取り組み P81)は、お母様が亡くなられた後、問題行動が激しくなり施設を転々とし、鍵のかかった部屋で過ごされているとのことでした。
突然、亡くなられたお母様を待ち続けていると考えると、問題行動から彼らが不安や孤独を感じている可能性が高いことを考慮する必要があります。

いつまでここにいるのか…
いつになったらお母さんが迎えに来てくれるのか…

重度の発達障害を抱える梅子さんにとって、施設での生活は期日のない不安な状況かもしれません。

しかし、ここで療育センターの先生から講義の中で「施設に入ってしばらく子供は荒れるでしょう。その後、ゆっくりと落ち着いてきます。諦め…というか適応していく過程を辿るでしょう」と教えてくださいました。

梅子さんも同じ過程を辿るとするなら、適応し始めた時期から過去のことを良い思い出として思い出して、精神的に自由になって欲しいと願っています。

運命から問いかけられている

これからの未来に一体何が期待できるんだろう。
自分の生きてる意味って何だろう。
そうやって自分の人生に問いを投げるのは、実は正しい態度ではない。

むしろ私たちが人生から君はこれからどうするんだと期待され問われているんだ。
人生は私たちにさまざまな問いを投げかけてくる。
そしてその度に私たちはその問いに対して口先ではなく行動によって答えなければならない。

生きるということは自分に課せられた使命に対し責任を持って全うすることなのだ。
人生から要求されることは人によって異なるしその瞬間によって変化もする。
だから、人生にどんな意味があろうだろうとどこほど考えようが答えなど見つかりはしない。
人生からの問いかけ…すなわち運命とは決して漠然としたものではなく、常に具体的な状況となって私たちの目の前に現れる。
そしてその度に、さあ君はどう行動すると問いかけられているのだ。
したがって今まさに苦しみという課題が与えられているのならば、そこに対して人間は、運命を見出さなければならない。
私たちは自分以外の誰かの苦しみを代わりに背負うことはできない。
その運命を授かった本人がその苦しみを背負い、担わなければならない。
しかし、その苦しみの中にこそ本人だけしか達成できない唯一無二の業績があるのだ。

こんなことを聞くとなんて現実離れした考え方だと思うかもしれない。
しかし、この考え方は地獄のような強制収容所生活において我々を絶望させない唯一の思想だったのだ。

「夜と霧」の動画より

この部分は、梅子さんのことをサポートする立場にいる私自身について語っていると思いました。
重度の発達障害という見えない障害にどう向き合うか、それは支えている側にとって重要な問いです。
梅子さんが問題行動を示すたび、私は自身のアプローチを振り返り、適切な対応をしているか、何かを教え忘れていないかを常に自問自答しています。
今現在も、彼女が理解できるように情報を伝える方法を考え続けています。

未来に自分のことを待ってくれている存在を意識すること

待ってくれる存在というのは人でも物でも何でもいいのです。
ある人はいずれ巡り合う運命のパートナーや自分の子供や孫かもしれませんし、またある人は一生涯、誇りを持って打ち込める仕事あるいは趣味かもしれません。

つまり未来に待っている存在というのは人それぞれ違うのです。
そして未来の世界は自分がやってくるのを期待しながら待ってくれているのです。
そうやって自分を待つ何かの存在に意識をむけ未来に責任を感じていれば人は絶対に自分の命を自ら諦めたりはしない。
だから今この瞬間を乗り越えてください。
我々は人生に試されているのです。

「夜と霧」の動画より

梅子さんが家族から離れ、新しい環境で生活するなら、そこに希望をかけたいと思います。
暮らし方が変わったとしても、彼女の未来には自由が広がっていることを信じています。
家族がいなくなることは避けられないかもしれませんが、家族と過ごしている今この瞬間を最善のものにし、梅子さんの中で楽しい思い出として刻んでいけるように願っています。
そして、彼女が自由で豊かな人生を歩むことを切に望んでいます。



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