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小説版『ドラゴンクエスト ユア・ストーリー』を読んでわかった事件の真犯人。(2019年の小説)

ピギー!(よく来たな、お望月さんだよ。)

映画『ドラゴンクエスト ユア・ストーリー』の鑑賞時に強い引っ掛かりを受けたのでノベライズ版を購入してシナリオを精査することにした。(サポートは可能な限りアウトプットに還元します!ありがとうございます!)

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違和感が生じた理由はシナリオのアンバランスさだ。おそらく、どこかで致命的なプロット変更が生まれている。劇中で示される真犯人と黒幕が異なっているのだ。

科捜研の女で例えると、連続殺人事件のあらゆる場所にリッツ(ルヴァン)のかけらが落ちておりどう考えても内部犯行説を指し示しているのに急にスーパー殺人鬼が出現してナイフを舐めた直後に内藤の車に轢殺されてハッピーエンドを迎えた、ようなものだと考えてください。

おそらく、かなりの確度で内容に迫ることができたと思うので公開します。(十分にサポートをいただいたので無料公開します)

※補足:本記事は映画版を爆発させた犯人ではなく作中事件の真犯人に対する考察です。 

▼過去のユアスト記事はこちら▼

鑑賞前レビュー

鑑賞後レビュー(ノベライズで死因を再確認することになった)

ノベライズ版の前提条件

本作品は「原作小説」ではなく「ノベライズ」であることを注意したい。映像を見ながら文字起こしをしたものとお考え下さい。良くも悪くも映画のままです。発生した出来事とセリフの繰り返しで原則的に箇条書き。とはいえ、作者の力量で可能な限り自然な文章になっている。

映画で発生した出来事以外は何も起こらないし、小説独自のイベントは"ほとんど"ない。終盤のある展開の解釈に関しては、描写が増しているため映画版より受け入れやすいと思う。

映画の補完でシナリオを深読みしたい、という需要に百パーセント応えない、完璧にクリエイティビティを殺した書き起こしなので購入時は十分に覚悟してほしい。

GOODポイントを挙げていきます。
終盤の展開に関しては別項にまとめる。

GOOD

・序盤の少年時代のダイジェストは、奴隷生活中の回想(走馬灯)として処理されるため自然な没入感がある。明らかにゲームしていた映画版と比べても格段に良い。

・パパスと食事をしている風景がある。(野宿の食事はつらいが良い思い出となっている)反面、好物のサンチョのシチューを食べずにふて寝するシーンが、意図された(未熟さを表現する)演出であることが判明。メシ食え。

・「じこあんじ」の描写は映画版と比べて意図がわかりやすくホラー的である。(映画版は完全にシュガーラッシュなので総監督はパクリがうまい)

・すり替えイベントに関しては内面の解像度が高く手腕を感じる。

追記 GOOD ポイント
・終盤の天空の神殿での大乱戦やジャミとゴンズを一刀両断するリュカの姿に関しては、かなり精細にアクション描写がなされており、映像化の際の絵コンテが非常に高品質であることを物語っている。

NOT GOOD

・小説ならではの内面描写やじっくり描写するアクションシーンがほとんどない。結果として「アクションに起伏が感じられない」「感情の焦点が無」である。

・ストーリー速度が立て板に水であり、イベントが心に残らない。

・映画版通りの主人公の軽い性格とお調子者感はそのまま。キャラを声優=プレイヤーに寄せていった悪影響が出ている。

・やはりフローラの方がイレギュラーな挙動をしているのではないか。ゲーム脳になっていないか。家族と話はしているだろうか。

・作者がクリエイティビティを殺し切っており、文体の癖がまったくない。

BAD

・アクションシーンに関しては当然ながら映画版にはるかに劣る。映画版のゲレゲレの疾走感には強い魅力がある。

・ゲマの魅力が1mmも伝わってこない。映像版の焦点の合わない眼差しや表情や声色のパワーが魅力的過ぎた。

・プロポーズの「もう、取り消せないよ」で餓狼伝が浮かぶ。あやまれ。



【ネタバレあり】終盤の展開について

・なるほど「ドラゴンクエストV」って、VRのことだったのか。

・主人公=プレイヤーは「ドラゴンクエストV」プレイ時の年齢は9歳と確定される。(1981年生まれ 2019年で約39歳、作中世界では40~60歳くらいとみられる)

・シナリオ的に大きなパラレル(if)展開が用意されている(つまり=あの時こうしていれば)作品が必要だった。その要素を満たすのが、ドラクエVだったのだろう。

・いくつかのエクスキューズ(いいわけ)が見受けられる。(以下に記す)

かいたひとのせつめい

★彼には「冒険の書」が消えてしまった過去があり失われた冒険があった。★それを取り戻すためにこの世界へやってきた。

★世界を攻撃した犯人は周回トロッコに乗り、進路を変えることができない立場にある。
★レバーを倒せない代わりに悪意をばらまいたのだ。悪いやつだ。

よんだひとのかんそう

☆トロッコ問題は大喜利ではありません。
☆創作者は無責任に社会問題に責任を預けてはいけません。

☆説明を重ねるほど逆にウィルス犯人説はあり得ない=物語の因果が破たんしている。
☆あらゆる証拠が主人公が真犯人であると指し示している。

☆本作のウィルスは「ゲームを続けろ」と促す都合の良い装置でなければならない。
☆ウィルスは深層心理を覗き「最も安らげる伴侶」を選択しなくてはならない。
☆そうでなければ「利用者の意図を汲み取って勝手にプログラムを生成する」と説明された装置の説明は何だったのか。

☆スラりんは絶対に許さない。
☆一行ですべてを破壊する腐敗の剣。

問題点

・おそらくプロットが腸ねん転している。(結末が当初から反対向きになっている)
・主人公の内面世界の冒険であるべきだった。
・「古臭い」「ありふれている」「社会性をもたせるべき」「問題提起をしたい」「どんでん返しで再鑑賞インカム収入二倍!」「インシテミル!」というなんらかの欲が出てしまったのでは。

ひとまずの真相

物語としておさまりが良いのは、こうだ。

20XX年。東京。
毎日代り映えのない労働を繰り返す男。彼はドラクエに熱中した少年時代を思い出し、すべてを投げ打って通勤途中に池袋へ向かいドラゴンクエストVRへ没入することになった。

少年時代に消えてしまった冒険の書の続きを再開するべく少年自体をスキップ、当時を再現するために【ヒロインスイッチのチェックを一つ外し】再び青年時代から冒険を再開した。

あの時消えてしまった冒険の書の続きとして【今度こそフローラを結婚相手に選ぶ】。しかし【システムが深層心理を読み取り】フローラが誤動作を起こして、彼は再びビアンカを伴侶として選択することになる。

石化を解いた彼は息子である勇者と共にマスタードラゴンと出会いドラゴンオーブを取り戻して天空神殿へ襲撃を仕掛ける。ビアンカを取り戻しラインハットの援軍を得てゲマを打倒。しかし、ゲマは己をいけにえに大魔王ミルドラースを復活させてしまう。

【再び介入が発生する。ゲームの終了を危うんだ何者かがシステムを停止させたのだ】

「もう少年の日々は戻ってこない」「大人になるなゲームを続けろ」「永遠に旧作のリメイクを楽しもう」

【介入の主は己の深層心理が生み出した自我抑制プログラム=ウィルスであった】

「ここはゲーム天国だ」「ゲームの外に選択肢はない」「自由気ままに永遠に生きろ」

【明晰夢としてゲームをクリアせずに永遠に過ごすことを強要する深層心理】

ゲーム内時間は現実時間と切り離されている。この数十年の体感プレイ日数も現実的には【90分】なのだ。

「それでも、ゲームは終わらせなければならない!」
「ゲームは1日1時間!父さんとの誓いだ!」

【するとスライムが発光して伝説の剣の形態となる】

父の膝の上で何度も観た「あの剣」を構え、深層心理プログラム=ウィルスを貫く男。(おりしもゲマを打倒したシーンと重なる)刀剣は雲散霧消して場面はミルドラースを退治した直後の天空神殿へ戻る。

「帰ろう、我が家へ」

振り向くとウィンクするスラりんと目が合う。

(俺は、勇者だった)

[BGM: 序曲]

(電車に乗り会社で頭を下げる男)

(フローラやビアンカの言葉を胸に働く男)

(ゲーム中の動作と現実の動作がリンクしたりする)

(十年後、彼と思しき人影が少年にドラゴンクエストを手渡す)

「お父さん、この女の人だれ?」

(そのパッケージには、デボラが堂々とセンターを飾っていた)

【今度は戦争だ!!】

Fin

未来へ

たぶん、本来はこんな感じになるはずだったのではないか。ドラゴンクエストの象徴=スラりんがあの刀剣になる理由は、それくらいしか考えられない。親子三世代に受け継がれたゲームを楽しむための一本の槍。ワクチンプログラムはどう考えても急に無理やりねじ込まれたとしか考えられない。

どんでん返しや「ウィルス」の存在がこの映画を酷評まみれにしているが、私はそうは思わない。ジュマンジやLEGOムービーで提示された現実と虚構と模倣のあわいの甘酸っぱい気持ちを表現したかったのだと思う。

ノベライズも含めて提示された謎を読み解くことで物語を映画化したときに手のひらから零れ落ちてしまったモノが見えてくる。

たとえ、狂った作品であっても、上位幻視者は本来の演出意図を補完することで実在しない故郷で待つ家族を幻視できるようになるのだ。

シチューを作って待ってろデボラ。
アッハイ。すみません、買って帰ります。
ヒヒヒ、今日もお美しいですね!

素直にシナリオを映像化することが許されなかったとしても、ある程度の真摯さを持ち併せていれば取り返すことができるチャンスはあったと思う。具体的な説明を省いても、ファンは勝手に最大限まで補完してしまうのだから。(この記事のように)

つくづく、このシナリオを通してしまった製作陣や総監督のことが悔やまれるのだ。もっと観客を信じてほしい。広げ過ぎた手のひらからこぼれて落ちてしまったものはあまりにも大きい。

ぜひ、本作品のクオリティで新たなドラクエ映像作品を!

そして『今度は落とさないでね』

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