春が訪れるたびに亡き父とゴルゴ13を思い出す
昨春から社会に出て初めて分かったことがたくさんある。その一つはゴルゴ13の刊行スタイルがわからない、ということだ。
ゴルゴ13はまるで空気のように私の生活に存在していた。食卓にトイレに自家用車のどこにでもゴルゴやビッグコミックが浸透しており私は好きなエピソードを読むためにトイレにこもったりしていたのだ。
やがて父が家を去ると新たなゴルゴが増えることがなくなった。ゴルゴを補充していたのは父だと知ったのはその時で、母がゴルゴを読み続ける私を冷ややかな目で見ていた理由も理解した。
昨春に私が学校を卒業すると母はゴルゴ13を全て処分したようだった。女子寮のワードローブに保管スペースは乏しく単行本を持ち出すことをあきらめたことが裏目に出て、全てのゴルゴ13が失われてしまった。
それでも私はいずれKindleで集め直せばよいだろうと高を括っていたのだ。
『13番目の客』というエピソードを読み直そうとするまでは。
ゴルゴ13 第522話 『13番目の客』
CIAを定年退職した男がワイフと古城ツアーに出かけていた。和やかなツアーバスに一人の東洋人が乗り込んでくる。鋭い目つきとたくましい肉体の物静かな男。男の脳裏にCIAの業務上で戯れにアクセスした殺し屋リストの顔写真が浮かんだ。(ゴルゴ13!なぜここに!?)
事情を知らないワイフはゴルゴに対して気さくに接し旅行客も和やかだ。(俺だけがこの男が殺し屋だと知っている)状況に男は(偶然か?)(標的は俺か?)(CIAと知れたら口封じに殺される!)と気が気ではない。
そんな状況でワイフが「タクの夫は元CIAだからなんでも解決するザマスよ!ホホホ!」とか口が滑り始めてしまう。「お、おれは事務職だから!」なんとかその場をごまかす。男はゴルゴ13に正体を悟られず、生き残ることはできるのか。
──アレ? 結末はどうなったんだっけ。
私は『13番目の客』が収録された単行本をKindleで探すが見つからない。そもそもゴルゴ13の刊行パターンが複雑すぎて探し方がよくわからないのだ。私はゴルゴ13の刊行スタイルがわからないまま社会に出てしまったことに気が付いた。
2012年。家を出た父が残した最後のエピソードの結末を見届けたい。私は強い欲求に動かされWikipediaやさいとうたかをプロ公式に向き合い始めた。しかし連載誌が多岐にわたるうえ、増刊、別冊、コミックス……どれがどれだかわからない。
【ゴルゴ13刊行スタイルの一例】
ゴルゴ13(連載)
ゴルゴ13(別冊)
ゴルゴ13(増刊)
ゴルゴ13(SPコミックス)
ゴルゴ13(SP文庫)
調べてみたところ、ゴルゴ13は単純に連載順にまとめてコミックスを発刊しているのではない。連載後は先行して別冊へ掲載され、増刊へ総集編的に収録され、コミックスに収録されていないエピソードも存在する。しかも、その収録順は発表順ではない。
どうにか収録エピソードをたどり、2019年の現在はゴルゴ13<191>まで発刊されており「519話」まで収録されていることを確認した。
つまり2012年のエピソードがまだSPコミックスに収録されていないということだ。それは電子版の入手が不可能ということである。世間の(私のような)ゴルゴ読みの若者はどのように連載を追いかけているのだろう。
私は最新刊のゴルゴ13<192>の情報をキャッチした。これに収録されるのだろうか。
これまでゴルゴだけを通じて触れ合ってきた父の気持ちがわかってきた。父は私がゴルゴを愛することがうれしかったのだ。求められるままに買い与え、社会人になってから初めて自分の手でゴルゴを選ぶことを教えるつもりだったのだろう。
その願いはかなわず、父は家を去ってからすぐに死んだという。家を出る前日に母から聞かされた時は、あまりに時間が経ちすぎていて実感がわかなかった。(お父さん、会いたいよ)始めて父の喪失と向き合った私はさめざめと泣いた。
私は、ゴルゴ13の刊行スタイルがわからないまま社会に出てしまった。それでも父のため、私のために新たにスタイルを理解しようと思う。願わくば、新たな電子データに姿を変えたとしてもゴルゴ13が私たちの子孫まで伝わり続けることを。
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