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コミュニケーションレス社会の実現

こんばんは。うぶちくです。

毎日駆け込むが如く書いているこの文字たち。いつか自分の味方になってくれると信じている。世の中、味方は増えたほうがよく、敵は少ないほうがいい。それなのに敵をつくっている人もいる。当の本人はその意識がないとは思うが・・・・。まあそれが問題でもあり、この発言がそういった人を敵に回す。あっちを立てればこっちが立たず。人間関係もトレードオフ。

今日もスーパーはテレワークに伴う昼間の商圏人口の増、買いだめによる人の買い物時間の増で多くの人で溢れていた。またソーシャルディスタンスを確保するためにレジ待ちの列は通常よりも長くなり、所要時間も増えていた。まあ時間が長くかかってイライラするのも分からないでもないが、その因果は上述の通りはっきりしているわけで矛先はインビジブルなコロナウイルスに向けないといけない。ただコイツは相当手ごわい。「姿は見えないが、殺意は見える」というわけだ。

そうなると人間は動物なので本能的に弱肉強食遺伝子がDNAに組み込まれているため弱者を狙う。人によってこの言動に反映されるかは個人差があるけれど。偶然、居合わせてしまった若葉マークをつけたレジ打ちのおばちゃん。齢は母上と同じくらいか。このご時世の先を見据えてのアルバイトであおろう。案の定テキパキできず、当たり前だが、目の前の初老はブツブツ小言を言っている。

あまり見ていて自分より年齢が上の人の争いは見たくないものだ。今でさえため息で終わっているが、子供のころは大人の争いほど怖いものはなかった。ニュースでは当たり前のように夫婦での争い、親子の争いが警察沙汰になっている。これでユビキタスな世の中、容易に人とのコミュニケーションもとれる。ただ、そこにはうまくいく保証はないのである。泳ぎの練習をいきなり海で行うようなものだ。それならば泳がなくていいという人もいる。

コミュニケーションは全てパターン化されカードゲームまたはじゃんけんの三すくみのようになっていけばいい。全てに対処法があり、欠点がある。コミュ障という言葉もどこかに消えていく。


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