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「肩書き」 が苦手

肩書きというものがあまり好きではない。
私はなにか特別な肩書きがあるわけでもない。

もちろん、肩書きを出した方がいい場合もあるとは思う。自分がどういう人間かを紹介するのにはいい。仕事の話だったり、ある程度テーマが決まっている会だとかは効果があるだろう。そして、共通点があると話やすく、仲良くなりやすいこともある。

あえて肩書きを名乗ってみるのもありだと思う。別にお金を稼いでなくたって自分が詩を書いてれば詩人って名乗って何の問題もないだろう。名乗った者勝ちとも言える。実績が伴わなくても名乗っちゃう人だってたくさんいる。

しかし、肩書きを知ると逆に話しづらくなってしまうことがある。

何を話したらいいんだろう。この人はいい会社に勤めてるんだ、私よりも地位があるんだ、私の方が経験があるんだ、などなど。気にしない人は良いのだが、私は気にする。他人と比較しがちな日本人は多いんじゃないでしょうか。

私はテレビや雑誌でいちいち(年齢・職業)が書かれることにずっと違和感を感じてきた。

事件を起こした人が無職だったら、「これだから無職はダメだ」と叩かれたり、逆に地位の高い人だと「なんでこんな人が」みたいになる。

なにかすごいことをした人が10代だったら、「若いのにすごい」。高齢のひとだったら「お年を召してもすごい」

ここ何年もファッション雑誌というものを読んでいなかったのだが、久々に読んでみ


たとえその人が良い言葉を言ったとしても、なんか余計な前情報「肩書き」が入ってくるのだ。

肩書きは自分を紹介するのに便利な反面、時に”ありのままのその人”を見ることを妨げてしまうことがあるのだな、ということ。

私は会話のなかで少しずつお互いを知っていって、その延長に「お仕事何されてるんですか」という質問になるのが好きだ。

私は一人旅が好きで、よく宿で出会った人とご飯や飲みに行くことがある。
もちろんどこから来たかは聞く。でも年齢、職業を真っ先に聞かない。話の流れで聞く必要があれば聞くだけ。
その方が楽しいのだ。見ず知らずの人と、旅行の話をしたり、何か語り合うのは楽しい。
偏見なくその人の話が聞けるから。

ある時、テレビで田舎のおばあさん2人組がインタビューされていたのを見た。いつも道端でおしゃべりしてるのに、お互いの名前を知らなかったのだとか。そういう関係いいな~と思ったりする。


ぐだぐだと書いたが、つまりは、自分がどういうステータスにいるのかを気にしなきゃいいだけの話なんだろうな。
しかし、そうやって気にしてる人いっぱいいるんじゃないかな~と思うから。

きっと職業ありきで人を判断される時代になってしまったから。

普段私たちは職業や年齢だけでなく、男や女、夫や妻、親や娘息子、日本人、外国人などいろんな立場としての肩書きを持っている。

そういう外側のものを最初に見すぎてしまうと、そのひとの本当の内面がスーッと入ってこないんじゃないかと思うのだ。だから差別も生まれるし、偏見も生まれる。

肩書きをうまく使いたければ使えばいい。ただ、肩書きだけで人をジャッジしないほうがいいな、というお話でした。

旅を通じた人との出会いや、旅でしか分からない気づきを大切にしています。 リモートワークしながら旅ができる生活を模索中。 ニュージーランドでワーキングホリデー済、一人旅・ヨガ・家庭菜園好き