声が響き合い、心の通う世界を願って。

 先月の11/16から、中野にあるシェアカフェ「una carmera livera(ウナ・カメラ・リベラ)」では、絵本『きかせて、あなたのきもち ー子どもの権利って知ってる?』の原画展が開かれています。

978-4-909749-10-9帯旧版小

 この原画展は、ウナカメでカフェ『月と田んぼ』を営む千春さんの想いで開かれることになり、先日、その千春さんと絵本のイラストを制作したmomoさんの、トークイベントが開かれました。

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写真:momoさん(photo by 千春さん)
絵本『きかせて、あなたのきもち 』著者(絵)
1976年、長野県生まれ。子どもの頃から絵を描くこと、ものを作ることが好き。学生時代に障害のある人たちの表現活動に出会い、以来その傍らで仕事をしながら、自分の創作を続け、グループ展や個展で作品を発表している。
引用先:http://hidamarisha.com/kenri/

 私自身は「子どもの権利」については考えたこともなかったけれど、新しい世界を知るきっかけになるかもと思い、参加させていただきました。

絵本について

絵本には、読者(子ども)の気持ちを知るための10の質問が並びます。その質問に答えて書き込めるワークブックがあり、その質問と対になるように、誰にも保障されるべき、子どもの権利が知れるような構成になっています。

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絵本が生まれたきっかけは、もう一つのコロナ禍

 2020年に世界で広がった新型コロナウイルスは、人々の移動や集いが制限され、暮らしに制約がもたらされました。それは子どもたちも同じ。学校は突然一斉休校となり、色々なことに我慢を強いられました。

そして、楽しい日々が失われていく子どもたちに、「はい、休校です。行事はできません。」ってそれだけ。学校によっては何の説明もない、そんな状況もあったそうです。

日本では、TVを見ても新聞を見ても「感染予防」の一色。子どもに対するメッセージはほとんどありません。

感染予防はもちろん大事だけど、その下で尊い子どもの権利が見過ごされている。そして、コロナで大変じゃない家庭と、ものすごく大変な家庭があるはず。

そんな想いで最終的には出版することになったのが今回の絵本です。

問題が視界に入らない。どう向き合うか。

ただ私には、自分の子どもがいるわけではないし、仕事や日常で子どもに関わる機会もない。そんな私には「子どもの権利」というテーマには当事者意識をもちづらい状況もある。

加えて、そうした人は少なくないかもしれない。千春さんも今回の原画展開催にあたって、以下のようにお話しされた。

「子どもの権利の問題を考える大人が増えないと、問題は解決されない。けれど今回の原画展で、いざ発信をはじめても、あまり反応がなかった。子育て世代にもそんなに届かない・・・」

具体的な問題となって自分が当事者意識を持てていないからこそ、このテーマを自分の生活の場に紐づけて考える必要がある。そんなモヤモヤのもと、著者のmomoさんと主催者の千春さんに質問したり、参加者の方々と対話をしてみた。
子どもだけでなく大人も含めて、生き心地のいい、ともに生きる社会をどうつくるのか。対話の中で印象に残った言葉を記しながら、感じたことを書いてみる。

生き心地のいい社会をつくるには。

著者のmomoさんは、自身で創作活動に取り組みながら、障害者を支援する福祉施設で働いている。まず、momoさんに質問してみた。

ー 子どもも含め、生きづらさを生み出している社会の核に、どのような問題があるんでしょう?

momoさん:
障害ある人たちは、これまでの歴史のなかで山奥で閉じ込められたりして、「私たちもちゃんとした街で生きたい。私たちのことを決めるときに私たちの声を聞いてください」ってずっと言ってきた。
それが今の子どもにも当てはまる。
当事者の人たちの声がすごい大事。
よく、良かれと思って、みんなが先回りにいって助けちゃったり、こういうの必要でしょって作っちゃったりすることがある。それが実は全然フィットしていないことがよくある。アベノマスクとか・・・笑
momoさん:
大切なのは、一番困っている人の声を聞くということ

この本の質問は、一番しんどい子向けにつくっているので、ちょっとヘビーで、大人が躊躇するような質問もある。
こんな質問をして、受け止められるかしら・・・って。
でも、みんなで考えたらいいんじゃないって。この質問をした親が全部うけとめなきゃじゃなくて、「この質問をしたら、こんなこといったんだよね〜、私こういうぐらいしか返せなかったけど・・・」ってみんなでやり取りが生まれたり、助け合えたらいいなって。

momoさんのこの話には、個人的にぐさっときた・・・

生き心地のいい社会やコミュニティをつくるということは、一部の大人が痛みを完璧に予防することではない。痛みも含めて声を聴き合い、ともに考える場がある社会なのだろう。

私にできること。

しかし、社会というと少し視点が高くて、実感が湧きづらい場合もある。そこで、自分の生活の場で考えられる具体的な一歩もきいてみた。

ー私たち、誰もが始められる一歩目とは?

momoさん:
子どもの権利も大事。だけど大人も、自分の権利をちゃんと考えたほうがいいかもしれない。気づかないと、色んなところで痛めつけられていないかなって。衣食住に困らなかったとしても、色んなことを忖度したり、空気読んだりしていないか、それって大丈夫かなって。
我慢してるって気づかなくても結構生活はできる。でも、自覚してないだけで、実は痛みを我慢しているかも。大人も「自分はどうかな」って考えられるとすごくいい。この絵本のワークブックも、子どもだけじゃなくて大人の人に書き込んでみて対話してみてほしいなって。
千春さん:
私自身小さい頃から色々あったことが、自分ではそんなに大変なことじゃないのかなって思ってた。それは自分の経験しか知らないから。でもある程度、だんだん年が経つにつれ、「あれはダメだったんだ、ちゃんと言わなくちゃいけなかったんだ」って。そうすると親になって、子ども生まれて「これは、だめなんじゃないか」って思うことが色々みえてきた。
声をあげるけど、かき消されて、それに向き合ってないで蓋をしている子どもたちの何と多いことかって。
このコロナ禍でも、子どもがちょっと外で遊んでるだけど、お写メを撮られたりすることがあった。
たとえ嫌われても、「ちょっとそれはどうなんすか」って言える大人を増やしていかないといけない。

「子どもの権利」を考えようというと「権利」という言葉のイメージが、私たちの問題の本質をベールに包んでしまう気がする。
「権利を守ろう」とか「権利を尊重しよう」というと、私の頭に思い浮かんでくるのは、国会の前でデモをやっているような場面のイメージである。それは、日々の生活とは離れた非日常の政治空間だったり、一部の強者や為政者・行政に対して、厳しく主張・追及しているイメージになる。

それは権利という概念が、歴史の中では、社会的闘争を通して獲得されたものだからかもしれない。

もちろん、そうした主張や追及、闘争も大切な場面もあるかもしれない。しかし今回皆さんと対話して考えたのは、もっと身近で生活の場に根差すことであり、自分たちで形づくるものである。

まず自分が、我慢をしていないか省みること。
身近な生活の場で、臭いものに蓋をしている現実に声をあげること。

言われてみると当たり前に大切なのだけど、自責の思考や忙しい日々にいると見過ごされがちだ。しかし、見過ごしたそのつけは、社会の子どもにも回ってくる。


momoさんと千春さんから伝わってきたことは、
みんなの声が響き合い、心の通う世界を願う想いだった。
そしてその世界は、私たちが我慢と沈黙をやめた先にあるのだろう。

お2人のお話を伺った後、ウナカメに飾られる子どもたちの絵からは、
momoさんの祈りが伝わってました。

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photo by 千春さん


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