芳年の血

大蘇芳年の飽くなき血の嗜慾は、有名な「英名二十八衆句」の血みどろ絵において絶頂に達する。 三島由紀夫

芳年の無惨絵は、優れたものほど、その人物の容態はあり得べからざる容態である。しかし、あり得ないけれども真実なる容態である。写実ではない。写実ではないこそレアル(リアル)である。ほんとうの「恐怖」が、そして「美」がある。 江戸川乱歩

二人が語った人物は、幕末から明治にかけて活躍した浮世絵師、月岡芳年のことである。

芳年は幼いころから絵が好きであり、当時人気絵師だった歌川国芳の弟子となる。その後15歳でデビューし、本格的に浮世絵師としての仕事をこなしていった。三島由紀夫の文で出できた「英名二十八衆句」は師である国芳が亡くなってから7年後に出版され、弟弟子である落合芳幾との合作で全28図を二人で14図ずつ分担して制作された。題材はすべて歌舞伎や浄瑠璃で取り上げられた無惨な場面を抜き出して描いた。

血まみれでのぞける女性、碁盤に置かれた生首、女性に殺された男の幽霊、など(ここでは著作権の関係で画像が貼れないので、各自で画像検索してみてください。)血糊の表現が凄まじく、わざわざ絵の具に膠を混ぜることで、まだ血が乾き足りずべとべとぬるぬるしているかのように血を表現している。グロくても、つい見てしまうのは、人間の性なのかもしれない。

芳年は実際に戊辰戦争の激戦地となった東京・上野に足を運んだり、裸の妊婦を逆さ吊りにし、包丁を研いで殺害しようとする老婆の絵も描いた。今となっては不謹慎と物議を醸すのは無理もない。

絵師はいつでも売れるものを描き、ある時はリアルに、ある時は誇張して表現することにためらうことなく絵を描いた。三島由紀夫や江戸川乱歩は芳年の血みどろ絵をエッセイで称賛している。芳年の絵はたまに師匠である国芳譲りの滑稽な絵や、エロティックな美人画も手掛けたが、残酷な絵が特に印象に残る。

絵を一目見ただけでただ「怖い」と思うだけでなく、そこに描かれた背景などについて考えたり、深読みすることが、鑑賞する上での大きなポイントとなるだろう。

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