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草刈り 気持ちは征服者〜自然と人間

環境美化の一環として、刈り払い機での草刈りに参加して思うこと。

気持ちは征服で、文明のサガを実感

草刈りしながらの自分の状態の一部は、

一網打尽に悪い奴(雑草)を、見境なく素早く無感覚または快楽を感じながら、半ば機械の力にやらされつつ、やっつけ、一掃すると気持ちがいい。

という感じで、あぁ征服者とか統治者とか正義の味方というのはこういう主観感覚なんだと実感。相手を害虫、雑草、敵としか思っていない。
(戦争では意図的にそういうイメージも作る。傷つかないために。しかし実際は本心は傷ついている。本心は知っているから。)

雑草はレジスタンスにも見えてくる。その際の抵抗で嫌なのは、
・根っこが繋がってるやつ、
・しなやか過ぎて切れないやつ、
・また生えてくるやつ、
・細かい石、
・石と混じってるやつ、
・いろいろ飛び散るやつ
・隅にいて触れないやつ
・大事なものにへばりついてるやつ
・見えないところにいて金属と一緒にいるやつ
・必要なものと紛らわしいやつ
・綺麗だったり切るには惜しいやつ
、、、

これって抵抗テクニックに参考にもなるね。


(そもそもなんで雑草を刈るんだろう?
 見栄え? 人の目? 蚊の発生? 畑を守る?)
緑肥にはしてますね(^ ^)


よくある疑問で、人間か自然か

①自然と協調 里山的
自然は放っておけば(日本では)森になろうとする。それは人間の暮らしの邪魔になる。人間の暮らしのためには管理せねばならない。
しかし、人間の暮らしは自然からの恵みなしでは成り立たないので、自然に対する感謝や捧げものを贈与すべし。
(昔は捨てるものなど無いくらいに活用していた。)

②自然は人間のもの 一新教 砂漠的
神は人間のために自然を与えられた。基本的には人間の好きにしてよい。駆除、改変、排除、、、技術の進化、イノベーションでなんとかしよう。

③人間は思い上がりすぎている 要反省 ②の逆
人間は自然をモノ扱いしすぎている。結果的に環境は破壊され、生物多様性は失われて、生態系の活力やレジリエンスは弱まり続け、人間自身をも命として扱わなくなり、気候変動も起こり、このままでは自滅。
(コンヴィヴィアリティの行き過ぎ曲面。テクノロジーへの明晰な自覚が問われる)

④人間は創造し、自然も自らも、変えていく生命である
学びを促進し、地球生態系全体の豊かさは、人間がいるからこそだ、っていう状態もありうる。
人と自然の共創というか深く一つみたいな。

①→②→③→④ と進んでいる印象。

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オマケ

お手伝いで思ったのは③モード
何が雑草なんて人間の身勝手だけど、それだけ食べてくれる動物ちゃんがいたらいいななんてまた身勝手な事。
畑とか花とか道とか人間身勝手空間だけ守って後は野生のままがいいのかなぁ とか。

①管理しつつ雑草を利用できたらいいな
②生命をコントロールするか、人間が宇宙に行くか。
③放任。人間はへたなことはしない。

④土と人間のプロセスがじっくりと進め、もっと歌や祈りなど、祝福を住む空間と交歓する。自らの雑草性にも目覚める。野生な生き方を取り戻すギフトとする。

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