[11] 富山の古書店から届いた満洲引揚体験記の佇まい

 ハードカバーの外カバーをハトロン紙で丁寧に覆った古書が富山の古書店から手元に届きました。

 『赤い夕日の満洲で―少年の日の引揚手記』(谷島清郎著、ちばてつや挿絵、新興出版社刊、1997年)。

 時々古本マーケットで満洲の体験記を探し少しずつ手元に取り寄せていますが、こんなに大切に扱われていた本は初めてです。

 ハトロン紙とカバーの間には、両袖と背の部分を補強するように書店の包装紙を切って挟んであります。その包装紙から書店名の断片が読み取れ、富山の本屋さんだと分かりました。

 本の著者は富山の人。前の持ち主は富山の本屋さんでこれを買い、富山の古書店に売ったのでしょう。

 菓子折りの包み紙で即席のブックカバーを作ってかぶせるぐらいは私も含め、やっている人は多いと思いますが、わざわざ扱いづらいハトロン紙できっちりカバーをかけるのは、何かしら特別な思いがあったのではと想像しました。

 さて『赤い夕日の満洲で』は終戦を5年生の時に満洲の通化で迎えた人の記録です。幼かった弟妹たちのために残しておこうと帰国した小学6年生から中学生にかけて書かれました。終戦から引き揚げるまで子どもの目線で記録されています。

 通化では終戦後に元日本兵たちが八路軍に対して蜂起し、悲惨な事態を引き起こしています。筆者の父親も参加し拘束され生還していますが、一緒に行った近所の男性は途中でおかしいと思い引き返しています。日本人居留民には当初きちんとした説明がなかったようです。軍人の無謀な企てのために多くの日本人が犠牲になった事件といえるでしょう。

 いくつかの体験記を読むと、終戦後の満洲では日本人も中国人も、人が人でなくなるようなことが日常であったことがわかります。

 落ち着きを少し取り戻したある日、大人たちが宴会の残り物を子どもたちに分け与えていて、そこに弟が並んでいるところに出くわします。このとき兄である筆者は、弟に知らない人からみだりに物をもらうようなことをさせてはならないと、言い聞かせて家に連れて帰る場面があります。

 みながお腹を空かせ、子どもでもたばこや菓子を売って日銭を稼がなければならない状況のなかで、人であろうとして踏みとどまることはどれだけ勇気を振り絞らなければならなかったか。その勇気がこの筆者の、その後の生を支えていたのではないかと想像しました。

 おそらく前の持ち主も、その勇気に敬意を表して、このような装丁を加えたのではないかと勝手に思い込んでいます。

 ただこれを受け継いだ私は、本がさかさまに棚に突っ込んであっても一向に気にしない質なので、かなり意識して丁寧に扱っています。

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