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「枠の設定」と哲学と広田先生のこと

日曜の午後に、本郷で開催されていた「東京大学で一葉・漱石・鴎外を読む」を聴いてきた。

行ってみたら想像以上に「川上未映子ファンの集い」みたいな感じで、本人が実際おそろしくステキ。朗読がとてもよかった。


もともと、「三四郎」と「青年」が収録されている本の話なので行った。

広田先生のことはちょっとしか出てこなかったけど、「広田先生が」という瞬間だけ、首がもげるほどうなずいてきた。「宗教観もあやふやで哲学を学ぶ機会のない当時の日本の状況」について、紅野謙介氏の解説をもう1時間延長でお願いしたかった。当時の「神様は救ってくれない」という表現についての話が、時間の関係でさらっと終わってしまった。

森鴎外は「好きな人が読む雑誌連載だから、わかる人がわかればいい」という割り切りが強くあったということも含めて、「枠の設定」というのがあるんだよなぁということについて帰り道であれこれ考えた。

自分は文学が好きだと自負して質疑応答で手を上げる人たちへの、「まあリストマニアには誰でもなれますから」という池澤夏樹さんの突き放し方、佇まい、よかったなぁ。

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