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対話型でインドの哲学を学ぶこと

対話型の授業は日本では少ないですが、わたしがインドで受けてきた哲学講座は対話型が多かったので、そのようにしています。

とはいえ日本人がそれを苦手なのは重々承知していますので、日本人向けにカスタマイズして進行しています。

どんな背景で暮らしていようと、おなじ言語を話す人間同士。他人の「気になった」「刺さった」の要素から社会の捉えかたを学ぶ瞬間が多いです。

心の中に多くの目を持てるよう、わたしが進行(ファシリテーション)を行ないますので、思考を言語化できない・リアクションできないなどの不安を持たずに参加してください。ほかの人の文章の捉えかたを聞くことで、「そうかな」「共感!」などの思いの発現から、まだ自身の中で言語化できない我欲があぶり出され、自分をよく知ることになる。対話型の授業にはそういう果実があります。(fruit。この感じがそもそも日本語にない。効果と成果の間くらいの果実です)

各節について話すときは、具体的すぎる場合は抽象化し、抽象的すぎる場合はプライバシーに踏み込まない範囲で具体要件を抜き出すなどのことも、わたしのほうでサポートします。あなたが地蔵のような状態でも、わたしはいっさい気にせず進行できます。あとで帰りの電車や、お風呂の中で、ふと「!」となったりするのもよくあることなので、その場のリアクションはどうでもよいです。

みなさんの共感ポイントやつっこみポイントを共有しながら、インド思想に慣れ親しんでいきましょう。

実際「がはは~」な感じになりますので、初めての人は緊張すると肩透かしをくらうでしょう。(当社比)


(参考過去ログ)

思い描いていたのは、生ラジオ

天職って? svadharma と svakarma

バガヴァッド・ギーター(Bhagavad Gita)の本のことあれこれ


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