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初めて広島に行ったときの話

いつもその日になるとつい忘れてしまうのが情けないが、8月6日は人類史の中でもとりわけ重要な日だ。


去年の10月、私は初めて広島に行った。ハロウィンイベントで、着ぐるみ界隈の知人を手伝いに行くためだった。

彼女(ぬいたち氏)の着ぐるみは、とにかくリアルなのが特徴だ。「本物の熊がハロウィンイベントに遊びに行く」という設定で、私は飼育員として連れ歩いた。

彼女とは元々そこまで交流はなかったが、お手伝いを募集しているのを見て、そういや広島って行ったことないし旅行がてら行ってみるか、と軽いノリで行った。

親に広島行きを告げると、「広島行くなら原爆ドームを見に行きなさい」と言われた。
私も確かにそれは外せないなと思ったので、イベントの翌日、彼女と2人で行くことにした。

さて、イベントの当日、私は彼女のお母さんの車で会場まで向かった。
聞きなれない広島弁に新鮮味を覚えながら、お喋りを楽しんでいた。

広島市街に入り、広島城が見えてきた。城下は公園として開かれており、何やらフードフェスタが催されていた。


「あのお城って、昔からあるやつですか?それとも建て直されたのか」

「そりゃあ、爆心地だからねぇ」


なんとも間抜けな質問をしたと恥ずかしくなったと同時に、爆心地がこんな街中であるということを初めて実感して震えた。

今まで、原爆ドームや投下直後の写真などは見たことあったが、なんというか「既に何もなさすぎて」それが賑やかな都市部であるという感じが全くしなかった。

その後、原爆ドームも遠くから見えたが、普通にビル街の中に建っているのが恐ろしかった。

翌日行ってわかったが、街の憩いの場となっている川のほとりに、それは存在していた。
すぐ横には近代的なガラス張りのビルも建っており、原爆ドームが放つ時間の異質性に驚く。
下手に遠ざけず、これを街中に存在させ続けることに、この世界遺産の役割があるのだなと強く感じた。

右側はもっと都会である(木々が生い茂っており、写真に収めるには難しかった)

原爆ドーム周辺の河辺は、都会のオアシスとなっている。

これらの写真のあたりは資料館を見学した後で行ったのだが、陰鬱な雰囲気の流れる資料館とは真逆の、明るく平和な雰囲気に包まれていたので、そのギャップに驚いた。
そして同時に、これこそが平和を謳うことだと思った。

同じく河辺の一画で、日曜日だったが、学校行事で平和宣言をしに来ていた。


広島に行くなら、資料館もぜひ見に行くべきだと思うが、原爆ドームを見るだけでも十分に価値があると思った。

しかも、別に近くまで行かなくても、遠巻きに見るだけでも意義はある。何故なら、街中に特異点が存在していることは、遠くからでも十分に確認できるからだ。

そして、彼らが普段からこういう景色を見て暮らしていることを実感するだろう。


核については色々言われている。全廃すべきという声はもちろん、他国への「見せ札」として持っておくべきだという声、環境負荷の少ないエネルギーとしての有用性、そのリスクなどなど………。

しかし、核の有用性を本気で語るなら、まずは広島の街を見に行かなければ、その資格はないと思う。

核というものがどういう危険性を孕んでいるのかを、もっと動物的に感じに行くべきだ。

私が資料館で見て最も衝撃的だったのは、終戦後の冷戦だった。
あれだけ残虐的な兵器だとわかったのにも関わらず、世界はそれを上回る威力の原爆・水爆を、それはもう取り返しのつかないほど作ったのだ。

結局これは、実情を知らない無知の為せる所業だと思う。

だからこそ、広島の彼らはドームを遺したのだろう。その周りに、昔と変わらぬ街並みを維持したのだろう。


反核兵器、反原発を非難する前に、その目で広島市を見てきてほしい。

大学中退病弱フリーター。病気で中途半端な障害を負って、身体という資本をほぼ失いました。あるのは思考大好きな頭と、ちょっと硬くなった手。あなたの支援は、私の存在価値の裏付けになります。