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防ぎようがない

昨日起こったことから、今までずっとミスをしないよう、
「やらかしてしまわないよう」頑張ってきたんだけど、
こんなのはどうすることもできないんだ。
多分、また起こると思っている。

だから、私の「そそっかしさ」や
一緒に仕事をしている上司の「せっかち」、
父の「せっかち」さや待つことのできない性格、
そうしたものが「やらかしてしまった」をあるものとしようとした私の企てだったのだ。

会社をやめるというアイデアが浮かんでいて、
地元にできた某大手の配送センターでバイトをするとか妄想が浮かんではいるのだけど、
たとえ場を変えたとしても、形を変えただけで「やらかす」というシナリオはそこでも設定されているはずだ。
「やらかしてしまった」「またやらかすに違いない」という妄想の握りしめをどうにかしない限り、本当の解放は起こらない。

肉体は生々しく感じて、ほらっ、世界はあるじゃん!!
バイトになったら賞与は入ってこないよ!!
みたいな自我の叫びがうるさい。
(この間はたまたま賞与が出たが、次出るかどうか怪しい。そもそも数年後、会社があるかどうかも怪しい…くらいちょっと厳しい)
でも、間違いなくいつかは会社をやめる。倒産で、かもしれないし。
どの時点で、だけだ。
恐怖にかられて辞めたところで、
「やらかしてしまった」「またやらかすに違いない」を温存させたままになるだけだ。
これが幻想でしかなかったと真に気づかせてもらうしかないんだ。


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