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それは私

久しぶりに十二国記を見る感じがして、
「風の万里 黎明の空」を見た。
今回特に意識してみる感じがしたのは、鈴。

もともとあまり鈴は好きではないのだけど、
検索していても「十二国記 鈴 嫌い」が検索の候補の上位に来るくらい、
好きではない人が多いようだ。
でも、私にはこの鈴と向き合う必要があった。
鈴の自分が可愛そうという気持ちにしがみつき、
つらくあたる梨耀を憎むがその本音を隠す。
それから小さい頃の陽子が写生大会で自分の気持ちを押し殺して、
先生に勧めるままに要求された題材を描こうとしたことも。
呀峰を恐れて屈するまま生きる街の人々。
これらは私だ。

ついさっきまで、マイティコンパニオンに平安へのツールをやってもらっていたのだが、
父に私の本当の気持ちを伝えなければいけない時期が来ていることを自覚させられた。
嫌なものを嫌だったんだとはっきり言う腹くくり、
たとえそれを言うことによって、返り討ちにされ、罵倒されたとしても。
でも、好きだったんだ、でも、父にされることも嫌だったんだ、ということ。
好き、だけでは私を欺く※し、
嫌だったんだ、だけでは父を激怒させ、罪悪感を生む。
行動のレベルではない、聖霊からの真の導きを求めたい。

※以前、周りの人に「結局好きなんでしょ」と言われることに、これで解決してやった的な気持ち悪さを感じてきた。その気持ち悪さを残したまま、周りの人の希望通りに「好き」と言って、「嫌だった」事に蓋をすることにも気持ち悪さを感じてきた。←権威の問題

だが、私は本当はどう感じてきたのか、本当の気持ちを伝えなければ。
それは「好き」だけではない。
憎悪ではなく、愛を持って、それを伝える。
それを教えてもらいたい。



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