ツールをやって
仕事がたまに暇な時があって、
そういうときに浮かぶ罪悪感についてツールをやった。
その結果として、
note
存在論的無価値感。
価値のある存在としてみてもらうことが私にとっての重要であったと思う。
人を「怒らせない」ということがイコール「価値のあること」で、
「怒らせてしまった」は、価値のない、死ぬべき存在と自分をみなしてきた。
「怒る」も「喜ぶ」も単に起こるように仕組まれたシナリオで幻想に過ぎなかったと私は真に知りたい。
そこに私はそれを見て一喜一憂して来ただけに過ぎなかったと私は心にわかりたい。
たとえ人を怒らせても、喜ばせても、私の神の子としての存在価値は変わらないと聖霊に教えてもらいたい。
ツールをやろうとして準備していると、
久しぶりに父からしつこく何度か電話がかかってきた。
もしかしたら自我の抵抗なのかもしれない。
(出る感じがしないのと、出たくないのとで、シカトした)
そのせいなのか、怒りとか無価値感とかでさっきぐるぐるしてた。
でも聖霊に、
「私は真に平安のみがほしい。
私は神に真に愛されているということを
私に分からせなければならないという義務が聖霊にはあります。」
そう祈った。
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