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知られざる古代日本の起こり|ひ・一の流れ|あたらしい日月神示


神靈界により型出しされたものは、やがて現界へと転写されることになっているのは前述の通りです。

天界の、封印された根源神の国常立大神の型の、顕界(地上界)への転写は、実在した神人、素戔嗚尊であろうと思われます。

ここでは、有史以前に実際、何が起きていたのかを35万年前とする日本古代史から紐解きます。中矢伸一さん著「日本古代史の秘密」から参照させていただきます。

【三五万年前】
日本の建国は、およそ三五万年前、神素戔嗚尊によってその基礎的経倫がなされた。また日本には、太古、富士山を中心とする高天原王朝があった。この頃の富士山というのは、現在とは比べならないほど高かった。今の富士山は一万三千尺(3939m。実際の富士山は3776m)だが、古代においては六万尺(18.181m)もあったという。そのため別名を天教山と言った。これに対し、現在、世界の屋根と呼ばれるヒマラヤ山脈は、この頃の富士に比べれば二分の一の高さにも及ばず、そのため地教山と呼ばれた。
太古の富士においては三合目あたりが、現在の富士の頂上の高さに相当し、常に雲が取り巻いていた。そのさらに上の高地帯は高天原と称され、そこに住む神人たちは高天原人種、あるいは天孫民族と呼ばれた。

天孫民族は、富士の四合目以上の地帯に住んでいた。やがてこの神人たちが、世界を統治すべく、高天原を降り、各地に散っていった。これが真の天孫降臨であるという。
~中略~
そして、この天孫降臨ののちに最初にできた王朝が、出雲であった。素戔嗚尊は、大国主命に日本をまかせると、自身は朝鮮(ソシモリ)の国に天下ったり、あるいはコーカサス山に降りるなどして、広くアジアを平定し、統治していた。
しかしその後、地球上には人類が滅亡寸前にまで追いやられるほどの大天変地異がたびたび発生し、このため天孫民族の数も少なくなっていった。

日本古代史の秘密/中矢伸一著P206*出口王仁三郎氏の主張した真実の天孫降臨

出雲王朝のくだりは、記紀に登場する出雲ではありません。時系列が合わないんです。上記内容は、記紀のずっと以前に、出雲があったと言っているのですね。出口王仁三郎氏も「原初の日本国の起こりは、神人素戔嗚尊による出雲王朝であった」と言っています。
その辺の事情を探るために、上記をすこし要約します。

神人であった素戔嗚尊によって建国された高天原は、現在の約4.6倍もの高さの富士山の雲の上にありました。現在の富士山の頂上以上、はるか上空のすごい高度にあったのですね。そこに住んでいた人々を高天原人種と呼びます。

その高天原人種が地上に降りたことを天孫降臨と言い、最初にできた地上の王朝が出雲だということです。

出雲とは、高天原人種が富士山の雲の下に出たこと自体を指すのではないでしょうか。そう解釈すると謎が解けるのです。高天原人種が、地上界で建国した都はどこでも出雲というわけです。地名や部族の名前ではなかったということ。

学校で習った日本史では、天孫降臨族は日向族ということになっていますから、天孫降臨族が出雲だったと聞くと、常識がひっくり返ってしまいますが、実は日向とか出雲とか、どちらがどうという世界ではなかったことは、以下に続きます。

正当性を求める以上、覇権争いの中ですし、神の葛藤の型の再上演にとどまってしまいます。そこ、もう卒業していきたいです。

話しを戻すと、古代の天皇は天岩船に乗って世界を統治した説が、日本の各地に残っていますが、雲の上に住んでいた高天原人種のことだとすると合点がいきませんか?

高天原人種はまるでラピュタのような空中の居住地から、天岩船に乗って世界中を駆け回る人種だったのです。そのころの地上には原祖人が住んでいて、天変地異が繰り返されたことで、高天原人種は地上へ降りていきました。

そこで原祖人との混血が繰り返され、高天原人種の特殊能力を引き継いだ、現在の人間の型が出来た説。

SFチックなファンタジーのようですが、その型が元祖日本人です。

人間は、宇宙人による原人類へのDNA操作により誕生した説も有りますが、最初に天教山に降り立った宇宙人が高天原人種であり、人類の祖先となった神人と考えることも出来るかもしれません。ゾワゾワしますね。

いずれにしてもハッキリしていることは、猿をず~~~っと観察していたら人間になるのではない模様。

お話しの続きです。天孫降臨により出来た人間はどうなっていったのでしょう?

【紀元前18世紀頃】
シリアの西南部パレスチナの地に、セム族の集団が定着してくる。これが今日でいうイスラエル人である。
この民族集団は、前一七世紀頃エジプトに移動するが、前一三世紀頃、モーゼに率いられて、およそ七千人のイスラエル人がパレスチナの地に戻ってくる。
こうして前1250年頃、ヤコブの十二人の子孫を祖とする十二部族が連合し、イスラエル王朝を建国するのである。

以後、ダビデ王とソロモン王の時代に全盛期を迎えるが、ソロモン王の死後は、前述したように、十部族の北イスラエル王朝と二部族の南ユダ王朝とに分裂する。王仁三郎によれば、このセム族とは天孫民族のことであり、日本人、朝鮮人、満州人、蒙古人、コーカサス人、ユダヤ人はみなセム族の流れであり、元は1つであるという。

とくに日本人とユダヤ人(イスラエル人)は、種族的にはどちらも素戔嗚尊を祖神とするセム族の中核であるとしている。
前722年、北イスラエル王朝がアッシリアにより滅ぼされると、十部族は忽然と歴史の彼方に消えてしまった。いわゆる”失われた十部族”である。
それから彼らは、回路と陸路に分かれて東へ向かったことがわかっている。
これについて「出口王仁三郎の大警告」の著者である泉田瑞顕氏は、次ぎのように述べている。

「二千七百年前、中東パレスチナの地から姿を消したイスラエル十部族(セム族)は、海陸両面から東に向かい、縄文晩期の頃から波状的に日本列島各地へ渡来し、当時の劣等原住民と同和混血したとみるべきである。東洋史に現われてくる扶余族の主流はおそらく、陸路を東進したイスラエル人であり、倭人というのは、海路を東に向かったイスラエル人であろう。彼らは日本列島各地の海岸平野地帯に定着し、先住民と同化しつつ、いわゆる弥生経済革命の原動力となった」

要するに、王仁三郎は、セム族というのは、もともとは日本で発生した高天原人種、天孫民族のことであって、その一部が古代イスラエルに現われ、国を追われて東進し、やがて日本に辿り着いたというのである。
この意味からすれば、出雲族も日向族も、出自を同じくする「里帰り民族」であったことになる。

日本古代史の秘密/中矢伸一著P207~

いかがでしょうか?日向族か出雲族かという言う以前に、どちらも天孫降臨族だった説。

ここまでを整理すると、古代の天教山としての富士山の住人の高天原人種が、地上に天孫降臨して原祖人と混血して出来た人間(日本人)が、天変地異と共に世界に散り、紀元前18世紀頃に現在のパレスチナ辺りに定着した。彼らはセム族と呼ばれ、イスラエル人の祖であった。

中矢さんは著書の中でこうも書いています。「神素戔嗚尊によって建国された、富士王朝であった高天原の天孫民族が、世界を統治するために地上にくだり、最初の出雲王朝を地上に建国するも、天変地異で次第に人祖系人種の中に混ざりあった。」

セム族(イスラエル人)はその後エジプトへ移住、モーゼに率いられてパレスチナの地に戻ってくるお話しは有名です。

これが十二部族となり、内十部族は歴史から姿を消すも、海路と陸路の二手に分かれて、日本に上陸し、先住民と和合混血し現在の日本へ里帰り。

これが後に出雲族と日向族に別れていき、現在のような葛藤を繰り返します。このことは「ひふみ」の「ふ・2」へ続きます。

私の観点での日月解釈を、お読みくださりありがとうございます。

あたらしい日月神示、について書いています。
目次をリンクにまとめてます。
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