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OLA革命-自分度の広げ方 07「近年の駅前再開発の本質」

マッチ売りの少女のような再開発

 山口さんが、現在の駅前再開発を「マッチ売りの少女」と比喩してくれたことにインスパイアされたのですが、子どもの頃から資本主義の元につくられてきたまちづくりは、じつは持続不可能なものをつくり続けてきた歴史だったということです。
 資本主義は資本の増殖が目的であり、資本が回るためにはひたすらつくり続けていかねばならない。ということは、持続不可能なものをスクラップアンドビルトしていくしくみであるということにほかならないということに、この歳になってから改めて感じるようになりました。

持続不可能なしくみが資本主義

 持続不可能なので、もっと新しい商品が必要になる、環境を悪くすると、もっとよいものが欲しくなる、そういう繰り返しなのではないかと。
 ですのでSDGs持続可能な開発は、それ自体に自己矛盾をはらんでいるわけです。
 クーラーがその典型的で象徴的な機械で、ひとつのパラダイムシフトしたものだと思っています。つまり室内のみを快適にして、室外に熱を放射する。内部環境のために、外部環境に負荷を与える機械なのです。自分自身の環境をよくするために外部環境に負荷を与えるという発想は、自然とともに生きている間はまったくなかった概念です。

包摂されてしまった人々

 昔は土壁や草屋根が湿気を吸い取って、気化熱で冷却されるというしくみだったんです。ところが、内部環境を快適にして外部環境を犠牲にしてきたことで、体温を管理する自律神経までおかしくなってしまい、熱中症という新たな病を生み出すに至っています。そういう人たちが街を埋め尽くしている。みんながそういう感覚に侵されてしまっている。
つまり、人類が資本の増殖のしくみに「包摂」されたと言ってもいいでしょう。
 政治家と大資本が結びついて、資本の増殖に取り込まれてきたのが近代以降の歴史なのですが、その渦に、市井の人々までが包摂されてしまったのが現代だと認識しています。

駅前再開発の本質

 ですが、この資本主義の包摂の中にまだ取り込まれていないのが、地域単位、個人単位で残っていて、それがOLAの革命への萌芽だと思うんですよね。
もっとグローバルから、ローカルへ、ローカルから個人へ。それがOLA革命なんです。
 結局、駅前再開発は、今だけ、金だけ、自分(関係者)だけが回ればいいという、非常に刹那的なもので進んでいる。それがむき出しになっている状態です。
 世界的には、高層マンションはその持続不可能性から否定され始めているのですが、日本の駅前再開発では、資本に包摂された人々によって強靭にすすめられているわけです。
 僕たちの肌感覚では、これはちょっとオーバースケールだなとか、人口減少していくこの時代においておかしいよな、と思うものが一部の人の思惑で動いている。これが駅前再開発の本質だと思います。

上田 篤(うえだ あつし)
日本の建築学者、建築家、都市計画家。比較文明論など。満州生まれ、大阪育ち。京都に在住し、京都の自然、文化財と並んで町家の保存を訴えてきたほか、五重塔、鎮守の森、お旅所、木の橋など。
さらには古い縄文文化に取り組んでその社会構造を明らかにした。小豆島の池田の石のお旅所を見て70年大阪万博で「お祭り広場」を提案設計した。
「建築から見た日本」の編者となり「縄文百姓」「出雲東遷」「飛鳥多宮」「神武百巴」「天地人笑」などの日本歴史を明らかにした。最近では縄文文化に入れ込んでいる。
主な建築作品は「橋の博物館」「大阪万国博覧会お祭り広場」「旭川市平和通買物公園」「神戸ポートアイランド市民広場」など。
都市デザイナー 上田篤オフィシャルサイトより


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