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【雑感】数字のこと

ここ数日、まだ暗い早朝に外に出ると
目の前の電柱の上のほうにカラスがとまっている。
今朝は冷たい雨が降っていたけれど、やはり同じ場所にいた。
あそこで夜を明かしたのか、待つ人でもいるのだろうか。

そういえばきのう
ツイッター(現X)で大学のコスパの話が出ていた。
卒業生の収入が少ないとコスパが悪い大学になるらしい。
ぼくも母校の平均収入を下げている者のひとりなので
いくらか申し訳なく思いながらも
その数字は議論するに足るものなのだろうかと考えていた。

コスパとは、コストパフォーマンスとは、なんだろうか。

いろいろな基準があるだろう。
その計算をするために使用する数字も
好きなように選ぶことができる。
そもそも統計データというのは
出したい数字に向かっていくらでも操作がきく。

全国学力テストなどもそうだ。
全員が平均点より上を目指して努力をすれば
起こるのは平均点の上昇であって
平均以下の人数が減ることではない。

ほんの少しでも数字を扱った経験があれば
平均の数字を上げる方法など、簡単に思いつくだろう。
底辺で平均点を下げているデータを、人間を、切ればいいのだ。

実際にそのようなことが起きて問題になったのではなかったか。
悪い点を取る生徒を受験させない、などとして。

ぼくの学生時代、もう30年ほど前になるが
バイオテクノロジー、つまり遺伝子工学のブームが到来して
生化学なる学問が誕生した。

所属していた研究室は有機合成をする化学を専門としていた。
基本的なスタンスは物理化学だ。
当時、バイオテクノロジーと申請すれば億の単位で予算がついたから
遺伝子などを扱う研究もするようになっていた。

物理化学の論文と並行して、生化学の論文を読む。
いまはたぶん状況が違っているだろうと思うが
当時はn=2で標準偏差を計算し、有意差あり、などという論文が出されていた。

標準偏差はn=3以上でなければ数字として意味をなさない。
n=2で有意差を出すなど不可能だ。
なぜこんなことをするのだろう、と
首をかしげる教授たちの姿を見ながら、ぼくは卒業した。

やがて就職して化粧品の開発をするようになり
医学論文を読むようになる。
すると、n=1まで登場するのである。

生化学は物理化学ではなく医学から派生した学問だった。
(繰り返すが今の状況は知らない。30年前の話だ)
人間を扱う医学においては
希少な病気のサンプル数を増やすなど不可能である。
培養した細胞のように
毒となる成分を与えて反応を見るわけにはいかないのだから。

生身の人間、ひとりの人と統計データというのは
本当に相性が悪いと思う。
100人のうち80人が治る病気です、と言われても
自分が80人に入るのか20人に入るのかは
五分五分ではないか。

いくらでも操作がきく数字
操作のしようがない数字

目の前に出された数字に賛成か反対かではなく
だれがどのような意図でその数字を出してきたのか
まずはそこから考えるべきではないだろうか。


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