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#03 徳島県神山町⑤ アートという名の“未知との遭遇”

いま注目すべき取り組みを行っている街を訪れ、街づくりの未来を探るプロジェクト。
エストニア、デンマークに続く第3の訪問先は、国内外から移住者が相次ぐ徳島県の神山町。
“最前線の山里”を巡るリサーチを経て、地域づくりのキーパーソンであるNPO法人グリーンバレーの大南信也さんにインタビュー。
この町にあふれる驚くべきクリエイティビティの理由とは? その秘密を解くカギは、あるアートプロジェクトにありました。(インタビュー前編)
▶前編 ④ 地域とサテライトオフィスの幸福な関係
▶「Field Research」記事一覧へ

町の運命を変えた画期的なアートプロジェクト

人口5千人ほどの山里に、IT企業が次々にオフィスを開設し、移住者によるこだわりのコーヒーロースターや地ビールの醸造所が誕生するなど、驚くほどの活況を呈している徳島県名西(みょうざい)郡神山町。
この町はどのようにして、先祖代々にわたって受け継がれてきた土地に、多様なバックボーンを持つ人々を受け入れることに成功したのでしょうか。そのカギは、この町で20年以上続く画期的なアートプロジェクトにありました。

日本の国産み神話にその名が見られる食物の女神「大冝都比売命(おおげつひめのみこと)」を祭る「上一宮大粟(かみいちのみやおおあわ)神社」。この由緒正しい神社が鎮座する大粟山の山中には、石で作られた渦巻き状の立体や、竹で編まれた小屋のような物体が設置されるなど、不思議な光景が広がっています。
これらは1999年にスタートした「神山アーティスト・イン・レジデンス」で制作されたアート作品たち。毎年3名(外国人2名・日本人1名)のアーティストを招へいし、約2カ月間の滞在制作を通して、神山の風土や人々の交流体験から得たものを作品化してもらうプログラムです。

じつは、神山町が移住で注目を集めるようになったきっかけは、滞在制作中にこの土地を気に入ったアーティストたちが家族とともに移り住み始めたことでした。では、神山町はいかなる理念のもとに地域づくりにアートの発想を取り入れ、それをどのようにして根付かせてきたのでしょうか。

大粟山の山中に点在する「神山アーティスト・イン・レジデンス」のアート作品より、南アフリカのストレイダム・ファン・ダ・メルヴェ氏による『人間の時間を抱く等高線』(2003年)と、過去の参加アーティストを再び招へいする「リターンアーティスト・プログラム」より、オランダを拠点に活動するカリン・ヴァン・デ・モーレン氏による作品『Kamiyama Kintsugi(神山金継ぎ)』(2018年/撮影:小西敬三)。

NPO法人グリーンバレー 大南信也氏インタビュー(前編)

ここ神山町で、新しい地域づくりの旗振り役を務めてきたNPO法人グリーンバレー。「カフェ オニヴァ(Cafe on y va)」の齊藤郁子さん(記事②参照)や、「Sansan神山ラボ」の管理責任者を務める大石宗貴さん(記事④参照)をはじめ、町内の行く先々でその名前を耳にした中心人物が、グリーンバレーの理事を務める大南信也さんです。
「神山アーティスト・イン・レジデンス」やサテライトオフィスの誘致、職能を持つ移住者の誘致活動「ワーク・イン・レジデンス」など、長年にわたる取り組みの背景や、独自の発想で注目を集める「創造的過疎」のビジョンについて、インタビューを行いました。

大南信也(おおみなみ・しんや)
1953年、神山町生まれ。アメリカ・スタンフォード大学院修了後に帰国し、過疎地域が生き残るための解決策を見いだすため92年に神山町国際交流協会を設立、グローバル視点からの地域活性化に取り組む。「神山アーティスト・イン・レジデンス(KAIR)」などのアートプロジェクトや、「ワーク・イン・レジデンス」による若者や起業家の移住プロジェクトなどを相次いで始動。2004年、神山町国際交流協会をNPO法人グリーンバレーに改組し、17年まで理事長を、現在は理事を務める。多様な人々が集う価値創造の場「せかいのかみやま」を掲げ、人口構成の健全化をめざす「創造的過疎」を持論に活動する。

「創造的過疎」という名の革新的ビジョン

私たちNPO法人グリーンバレーでは、3つのビジョンを掲げています。まず、「人」をコンテンツとしたクリエイティブな田舎づくり。次に、多様な人の知恵が融合する「せかいのかみやま」づくり。そして、「創造的過疎」による持続可能な地域づくりです。
では、「創造的過疎」とは何か。きっかけは10年ほど前、「スマート・ディクライン(smart decline/賢い衰退)」という言葉に触れたことでした。これは、成長と拡大を追い求めてきた従来の都市政策に対し、人口減少に伴う経済の縮小が避けられないなかで、何をもって豊かとするかという価値観そのものを見直すべく提唱されたものです。でも僕は、この言葉をそのまま使うのには少し違和感があった。新しい視点とともに、人々の思考さえ変えてしまうようなインパクトを表現できないか…。そう考えて、「過疎」という危機的状況と、未来につながる「創造」という真逆の言葉を組み合わせて、「創造的過疎」という言葉を思い付きました。

僕自身の体験を遡るなら、77年から2年間、アメリカのスタンフォード大学の大学院へ留学していたときのこと。大学の周辺はかつては農業地帯で、卒業生は職を求めて東海岸へ出ていくのが常だったそうですが、80年ほど前に大学の卒業生であるヒューレットとパッカードがガレージで起業したことがきっかけとなり、半導体(シリコン)を中心とするハイテク産業が集積していきました。人の手による着実な積み重ねが、この地域に未曾有の発展をもたらし、「シリコンバレー」という呼び名に結び付いたーー。そのストーリーに、何よりも心を打たれました。

「やったらええんちゃうん!」の精神でアートプロジェクトが発足

そして、帰国後に神山で最初に取り組んだのが、戦前にアメリカから贈られた「青い目の人形」の里帰りプロジェクトでした。これは日米友好のために日本各地へ贈られた1万2,739体のうちの一つで、ほとんどが戦時中に破棄されましたが、神山では大切に保管されていた。この人形を地域の国際交流につなげようと、人形が持っていたパスポートを頼りに贈り主を探し当て、90年にペンシルバニア州ウィルキンスバーグを訪れました。
その後、同じメンバーで神山町国際交流協会を立ち上げ、今度はALT(語学指導助手)制度で徳島県へ派遣されてくる外国人向けに、神山町でホームステイをしながら子どもたちや日本の文化に触れてもらうプロジェクトに取り組みました。ここで起きた最大の変化は、“日本の田舎に外国人がいる”という状態が町の風景に馴染んでいったこと。最初は遠巻きにしていた町の人たちが、進んで外国人たちの世話を焼くようになったのです。

この手応えを受けて考えたのは、神山を世界につながる町にしたいと考えたときに、どんな方法が有効かということでした。よくあるのが移住希望者を補助金で支援する方法ですが、お金が理由ではなく「ここに住みたい」と思うくらい、神山のことを心から好きになってもらうにはどうしたらいいか。そのヒントとして浮かび上がってきたがアートです。アートには、人の心を惹き付ける何かがある。その力で、神山の雰囲気を高めていきたいと考えました。
ちょうど県で「とくしま国際文化村」を作るという構想があり、それに対して民間でできることを考えたときに、アーティストを神山へ招いて滞在制作をしてもらい、町をあげてそれを手伝うというアーティスト・イン・レジデンスをやろうという話が浮上してきた。それが20年以上も続くことになるとは、そのときは夢にも思いませんでしたね。というのも、メンバーの誰もアートの勉強をしたこともなく、アーティストを呼ぶにはどうしたらいいかもわからなかったので。でも「Just do it!(とにかく始めろ!)」の精神で、手探りで進めていきました。いまや、町のあちこちでことあるごとに「やったらええんちゃうん!」という言葉をよく聞くようになったのは、この精神の賜物だと思います。

大粟山の山中にて、ポルトガルのアーティスト、マリーナ・カルヴァリョ氏による作品『ストーン・スパイラル』(2011年)。

“アートな異邦人たち”との交流が拓いた、移住の糸口

とはいえ、アーティストを呼ぶということは、異質な存在を地域に迎え入れることです。何しろ、芸術という“わけのわからないこと”をする人にどう向き合うか、ということが問われるわけですから。
例えば、「劇場寄井座」(記事②参照)の前に住んでいたおばあちゃんは、滞在制作中のアーティストに対して、最初はどう振る舞っていいのかわからなかったようです。それが、次第に様子が気になり始めて、毎日覗きに行くようになり、お菓子を差し入れたり、何かと世話を焼くようになった。つい最近も、「完成した作品を見るのもいいんやけど、作っている途中が面白いんよ」って(笑)。
アートを勉強したことのない八十歳代のおばあちゃんが、アーティストが日々思い悩んだり、夢中になって取り組んだりしている姿を見て、「結局は同じ人間なんだ」ということに気付いていく。そういう意識の変化が、町のあちこちで起き始めたんだと思います。

オランダ在住のアーティスト、ニック・クリステンセン氏による作品『Kagami』(2013年/撮影:小西敬三)。制作中には町内のアトリエで公開制作やアーティストトークを実施。完成後、劇場寄井座で展示された。

つまり、大切なのは“ものの見方”だと思うんですよ。町に変な人が来て、変なものを一所懸命に作ろうとしている。最初は「なんでこんなものを作るんだろう?」と思うことがきっかけになり、「自分には意味がないように見えても、この人にとっては意味があることなんだな」というように、自分とは違うものの価値を認め、異なる考え方の橋渡しになっていく。さらには、それに触発されて、自分でも面白いことに取り組んでみようという意識が育まれていく。
その意識の変化が引き金になって、滞在アーティストたちの「ここに住みたい」という印象や想いにつながり、多くの移住者を呼び込む流れを生み出していった。だから、重要なのはやっぱり、“人”だということですね。


→ 次回  03 徳島県神山町
⑥ “何もないから面白い”というアートな発想


リサーチメンバー (徳島県神山町取材 2018.10/1〜2)
主催
井上学、林正樹、竹下あゆみ、吉川圭司、堀口裕
(NTT都市開発株式会社 デザイン戦略室)
https://www.nttud.co.jp/
企画&ディレクション
渡邉康太郎、西條剛史(Takram)
ポストプロダクション & グラフィックデザイン
江夏輝重(Takram)
編集&執筆
深沢慶太(フリー編集者)


このプロジェクトについて

「新たな価値を生み出す街づくり」のために、いまできることは、なんだろう。
私たちNTT都市開発は、この問いに真摯に向き合うべく、「デザイン」を軸に社会の変化を先読みし、未来を切り拓く試みに取り組んでいます。

2018年は、いままさに注目を集めている都市や地域を訪れ、その土地固有の魅力を見つけ出す「Field Research(フィールドリサーチ)」を実施。訪問先は、“世界最先端の電子国家”ことエストニアの首都タリン、世界の“食都”と呼び声高いデンマークのコペンハーゲン、そして、アートと移住の取り組みで注目を集める徳島県神山町です。

その場所ごとの環境や文化、そこに住まう人々の息吹、地域への愛着やアイデンティティに至るまで。さまざまな角度から街の魅力を掘り下げる試みを通して、街づくりの未来を探っていきます。

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